出産

忘備録的に出来事ベースで書いていく。


人によって感じ方が本当に違って後期がへっちゃらの人もいるので今前期中期の人は絶望しないで欲しいんだが、私は、妊娠中一番辛かったのは、後期だった。と言っても37週で産んでいるので41週の人のことは全然想像できないし、何言ってんのよその後がしんどいのよと言われてしまうかもしれないが。総合内科、救急科、皮膚科のローテで、どんどんお腹は大きくなるし、なぜか咳が止まらないし、それで多分肋骨ヒビ入っていたし、お腹に押されて食べすぎると出てくるし、膀胱押されて四六時中トイレ行きたいし。という色々の中で、眠れないとかそもそもこれから大丈夫かっていう不安とかで、イライラしていた。


32週で犬を先に東京の母の家に連れてきて検診を受けて札幌に戻り、34週5日で関東に引っ越しの友達と一緒に札幌に来た。しんどかった後期に見つけた安らぎをくれた場所が、助産師さんがやっているmama loves babyという整体などなど産前産後のケアのサロンだった。後期の身体がしんどいけど、何がどうなっていてどこまでが大丈夫なのかとかどれだけ動いていいのかとかがわからなくて、「自分はちゃんと母になれるのか」みたいな漠然とした不安とか、お腹張ってる感覚ってどれだかわかってないのに陣痛きたらわかるんだろうかとか、現在と近い未来の出産とその後始まる母としての生活と、そもそも全然違う3つの不安が混沌とあって困っていた私を、そんな人間は今までたくさんたくさん見てきたわよというような経験と自信とカリスマの視線と傾聴で助けてくれた。オススメ!

mama loves baby: https://mamalovesbaby.jp


出産は割と突然決まった。36週6日の検診で妊娠高血圧の診断がつきそうな感じになって、家で何度測っても高かったら連絡してねと言われて帰宅してその日の夜にもうそういう状態だったので電話したら、じゃあ今から入院して明明後日(月曜)に誘発して産んじゃいましょう〜となって、少しはドキドキしたけどもう妊婦を卒業できることが嬉しくて仕方ないというテンションで入院した。入院したらお尻がプツプツして痛いことに気づき、様相は典型的ではなかったが、皮膚科ローテ直後だったので見事診断を当てた。帯状疱疹だった。誘発剤を左腕から点滴され、右腕から帯状疱疹の点滴をして、赤ちゃんへの感染予防に念のため水疱をテープでガードして、点滴しながらシャワーに入って患部を洗浄したりしては分娩台に戻る、みたいな感じだった。


私は産婦人科ローテの時、緩和ケアにしかほとんど興味がなかったために、緩和的な婦人科悪性専門の女医を勝手に師匠に決めて6階にあった婦人科病棟でくっついてまわっていたので、5階の産科を全然知らなかった。自然分娩は覗いた程度しか知らないし、帝王切開も小児科側での経験がほとんどだった。月曜に誘発して産みましょうと聞いてこの子の誕生日は月曜日か!と思ったら、その日は全然陣痛が乗らずに子宮腔4センチ開大止まりで(出産時は10センチ)、16時くらいに「今日はやめてまた明日頑張りましょう〜」と言われて拍子抜けした。火曜日もそんな感じで過ぎて、水曜日は朝から人工破膜(破水)して19時台に誕生した。その産院での無痛分娩というのは要は硬膜外麻酔で、内臓痛には効くが体制痛には効かない感じで、つまり最後に児頭が骨盤を押す痛みには効かないらしかった。しかしそもそも、陣痛をうまく乗せるために結構我慢した後に硬膜外麻酔を入れたので、私の場合は痛みが取れた!!みたいなの1時間程度で、どんどん骨盤を押す痛みでしんどくなって、麻酔足しても効かないし麻酔足すと陣痛遠のくしで、超痛かった。そりゃ硬膜外麻酔なしだったらもっと痛かっただろうけど、もうある程度の痛みを超えたところでの痛みなんて、超痛いでしかないんじゃないか。あとどれくらいで産める?と助産師に聞いて、1、2時間だと思うとニコニコ言われてああもう無理と萎えてたが、しばらくしたら児がちょっと苦しそうだとなって「吸引するから準備して」とさっき初めて私の前に登場した夜勤のベテラン医者が助産師に言っているのが聞こえて、「吸引してくれるんですか!!」と言った。笑 やったああ終わりだああとテンション上がった。クリステレル、という妊婦の腹の上から人が児を押す手技があるんだが、大ベテランぽい助産師が恍惚と登場して私の上に来て準備オッケーとなった。私は医者のくせにこの手技の存在を全然知らなくて、え?何これまじか、押すのか。。。!!とびっくりだった。陣痛きた→吸って〜→いきんでー!!の時にお腹を上からすごい力で押された。吸引分娩って永遠にはできなくて、確か5回(5ターム)まででダメなら帝王切開なんだが、4回やった。やばいもう一回でオペだ今頑張らなければやばいと最後めっちゃ頑張れたのは上限の存在を知ってたからだと思うので、それはまあ、良かったか。会陰切開は嫌だと産むまで思っていたんだが、その瞬間に圧迫が解除されて産まれたので、切開と縫合の痛みは麻酔で取れていたこともあり、救いの手技みたいに感じた。37週だったが、児の体重はもう3300g越えだったし、吸引だったしで、自然陣痛待ってたら下から産めなかっただろうね〜と医者に言われた。


無痛分娩に備えるために3日間日中は食事なしで誘発していたし、産む2時間前には分娩台の上で嘔吐するし、産まれた時は疲れ果てていて、ああ終わったと、はーはーしていただけで何の感動もなかった。もうちょっとで帝王切開だったし吸引とクリステレルでみんなに産ませてもらったしでなかなかに臨場感のある出産だったと思う。が、しかし、カンガルーケアで産まれた児の安全が確認されたらまだ暖かい胎脂でねっとりの児が私の胸腹部に置かれた時、愛だかオキシトシンだかアドレナリンだかわからないが愛しさが急にブーストしてきた。暖かかった。昔インドの日本人シスターに、愛は温度の交流だみたいなことを言われたのをまた思い出した。児は暖かかった。家にいる母親にメッセージで出産を伝え、コーラを買ってきてと送ったら、なんとカロリーゼロのコーラを買ってこられて彼女と過ごす予定の産後2ヶ月の最先が一気に不安になった。


産後はアドレナリンフィーバーみたいになっていて、3日間ほとんど眠れなくなった。このまま寝れなかったら確実に精神を病むと思ったのだが、その直後に眠れたら焦燥感はだいぶマシになった。私のマタニティブルーズはこの眠れない最終日だったと、振り返って思う。やばすぎるPMSみたいな感じだった。だけど、身体が自分だけのものになった感覚はしっかりとあって、妊娠中の得体の知れない取り扱いがわからない不調とは違って、元々PMSでピルを飲んでいた私にはこの不調は全然知らないものではなくて、後から思えばだが、比較的扱いやすかった。


産後はしっかり貧血で、鉄剤の点滴をしたり内服をしたりした。退院後2週間くらいは階段を登るのもしんどかったけど、貧血は産後1ヶ月でもう元に戻っていた。高血圧も産後3週間続いたので、何度かニフェジピンを内服したが、その後すうーっと治ってくれた。


100人100通りのお産があるというが、私のお産はこんな感じ。大変だったけど、まあ病院にいる人は大変な人がたくさんだし、特別この体験が私の人生で唯一無二の大変なイベントとしては残っていかないような気がする。出産年齢がそんなに若くないせいもあるか、医療者なせいもあるか。色々ある超印象的な体験のうちのひとつ、という感じだった。産んだ人には産んだ人の経験があり、産んでない人には産んでない人の経験がある。どちらもかけがえのない、優劣のない、女の人生。私は出産したことで、そういう感覚が強くなった。

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妊娠後期

今、産後1ヶ月。

私には同時期に妊娠、出産した友達が結構たくさんいて、今も妊娠中の友達からSNSで妊娠のネガティブなこと(つわりが辛いとかイライラするとか)書いてるの、たまひよのアプリ以外ではみゆしか見つからないと言われたので、そんなことは全然ないだろうと思いつつも、ひと足先に妊婦を終えて比較的よく寝た日の朝に、後期の愚痴ブログも残しておこうと思う。

 

まず、言いたいことがある。妊娠とか出産とか育児とか、ネガティブなことを言うと(人によっては思うだけで)そのまま子供を否定していることになる、みたいな感覚になることがあるかもしれない。でもそれは間違いだ。嫌なことがある時にそれに少しでも関連しそうな事象を集めて「嫌だ」と漠然とまとめることはナンセンスだ。つらいものはつらいでいい。そもそも陰性感情は否認するほうが状況も悪くなりやすいので、認識して、言葉に出してみていいのだ。あと、前も書いたが、他の人と比べたら大したことないかも…とか思わなくて良い。つらさは自分しか感じれないし、だから自分と比較するならまだしも、想像上の他人と比較するのはあまりにも意味がないのでしなくていい。よく頑張っている。男が理解する日など一生来ない、激動的な不安定の中での身体と精神を、(男が作った社会システムの中で)よく生きている。それは本当にすごいことだとまず、認識する必要がある。

 

以下は、不調をただ書いていく。

 

私の妊娠中期は身体的には(比較的)元気で、仕事にはほぼ休まずに行けていた。でも後期に入ると身体が本当に重くなり、「後期づわり」らしきものが始まった。子宮に胃が圧迫されるせいか食べ物があまり入らない、戻ってくる、みたいになった。一般的には後期に体重増加がめっちゃあるのかもしれないが、私の場合は後期に入ってから出産するまで、体重は変化しなかった。ただ、初期の頃のような慢性的な船酔い感はなかったし、日内変動もなく、ただ単に容量が減った感じだったのでつらさはそうでもなかった。食べる時間や内容、量などを工夫したりして過ごしていて、胃の術後みたいだなと勝手に想像して思っていた。

 

階段を上がるのがいよいよしんどくなって、全てにエレベーター生活に移行していった。途中までは結構頑張って(人に合わせて)上っていたんだが、同職種の6週先輩の経産婦妊婦に「私はもう階段は上らないことにした」と言われて、そうか、上らなくていいのか、と思って見習った。別にそれで仕事に時間がかかっても、怠惰じゃない。そして、そんなことを許容できない同僚や上司がいたとしても、私たちに非は絶対にない。でもなんか、妊娠中は人にいつもはかけない負担をかけたりすることが多くて、それ自体がしんどかったりもした。

 

暖房で喉をやられたことを契機に咳が数週間止まらなくなって、最終的には喘息発症したのではないかとなって、吸入をしていた。診断がガッツリつくまでは行かなかったけど、朝晩しっかり吸入をしつつの出産だった。徐々に軽快したので今はもうやめている。これで辛かったのは肋骨痛だった。ただでさえ圧迫されている胸郭に激しい咳が加わることにより、近骨格系に支障を来たし、どっちを向いて寝ても痛い、動くと痛い、咳すると痛い(骨盤底筋緩んでて尿漏れもやばい)、ってなって、横向きにもなれなくなって、布団と枕を重ねて背中を45度くらいに上げてなんとか3時間寝る、トイレに起きる、みたいな日々が続いていた。多分肋骨は、ひびが入ってたと思う。産後も痛みはあったけど今やっとなくなった(背中はまだちょっと痛いとこある)。これのピークが来た時、仕事を休んだ。どうにもならなくて数日前倒しで産休入りした。犬は少し先に東京に行ってたけど、私はまだ北海道にいたし、その身体で移動することが不安だったけど、友達と一緒だったので乗り切れた。

 

イライラは、妊娠中はずっとしていた。自分一人でしか生きたことがなかったのが、二人になって制御が効かなくなった。防衛反応みたいなのも働いていたと思う。自分(たち)に危害を加えかねないものたちに対してイライラした。それは精神的危害だけではなくて身体的危害もだった。犬にもイライラしてしまったりした。生まれてはじめて、犬が可愛くないと結構本気で感じていたけど、出来るだけ隠して、高い声で可愛がってみたりしたけど多分犬にはバレていたと思う。イライラが隠せなくて、我慢して付き合っていたふたりの人と絶縁みたいになった。今までとは違う人間になったように感じていた。だけど外見はただの妊婦の私なので、違う人間になったことを悟られまいとしていた。脳の疾患で周囲がある日突然宇宙人(今までと違う人が中に入ってる)に見えるみたいなのを手塚治虫の短編で読んだのと逆で、ホルモンの状態によって私の中身だけが宇宙人になっていた。

 

私は、今でこそ、誕生して世話もしている赤ちゃんに対して、「お腹をポコポコ蹴っていたのはお前だったのか、産まれてきたのか」なんて話しかけてニヤニヤしているけど、妊娠中に胎動が可愛いなんて感じたことはなかった。急にお腹の中で虫が動いたみたいな感覚から、後期になるともっと明確なんだけど普通に唐突だし痛かった。だからお腹に話しかけることもほぼなかった。胎児の想像力に乏しいのかもしれないし、医学的な知識があることで想像がリアルすぎたせいかもしれない。でも産めたし、オムツも変えてるし、授乳もしているし気が向けば優しくあやすこともする。胎動が不快でも別に大丈夫だ。

 

周囲のみんなは産まれてくるの楽しみだねと何度も言ってくれたが、楽しみに思う余裕はなかった。そもそもはじめて産むので不安だったし、つらくてとにかく妊婦を一刻も早く終えたかった。実際産んだ瞬間には感動なんてなくて、ああ、終わった…!!と超疲弊する中で思っただけだった。妊婦が楽しくなくても大丈夫。不安でも大丈夫。本当、すでに十分頑張っている。妊娠を、子を、大事にしているから、イライラするし不安にもなるのかもしれない。

 

産む直前は、妊娠高血圧になり、帯状疱疹になり、肋骨も背中も痛いし、嘔吐もするしで満身創痍だったが、とにかく歩いたほうがいいと聞いていたので東京では8000歩くらい大体歩いていた。この辺の話は次回に譲る。職場の素敵な経産婦の女性医師が言ってたが、人類は古来から出産してきてるんだから出産育児も不安だけどなんとかなるから大丈夫と、私もそう言いたい。そりゃ、イライラしたくなかったし、胎動で愛を感じてみたかったし、感じの良い研修医でいたかったし、もっとたくさん人と交流したかったし、犬を大好き(今は元に戻って大好き)で居続けたかった。でもしょーがない。そうじゃなかったんだからしょーがない。けど別に、問題はどこにもない。今もまだイライラしてる(産後すぐをガルガル期というらしいがそれが終わったくらいか)けどしょーがない。別にそれで大丈夫だ。

 

ちなみに、もう一生妊娠したくないと産むまで思っていたが、産後1ヶ月でもうすでにまた出産してもいいなと思っている。

 

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後期のお腹と3D胎児エコー

 

40代でどう生きたいか

妊娠後期に入ってから、後期つわりと呼ばれるものになり、今日は久しぶりにお休みした。

 

最近考えてること

医学部に入りたい娘さんが共通テストがうまくいかず、一浪しそうだという職場の同僚が、「挫折も必要ですよね。先生(私)もあったでしょう?」と言ってきて、ああ私は結局、挫折するほど頑張ったことなどないんだろうなと思った。

私は20代最後でキャリアチェンジして医療に来たが、そういう医者は一定数いる。10代の時は芸能活動と演劇をしていた。女優になるのだと思っていた。でも役者というものにちゃんと集中することのないまま、20代では踊りをしながら保険をかけてるみたいに大学に行き国際協力系の下地を作った。その後急に医療に来たが、それを決めたのは28歳の時で、30代は自分がやればできることをしよう、と思ったんだった。

私は、女優をするなら有名になりたかった。言ってしまうとなんだかくだらない感じもするが、お芝居ができればそれでいい、なんて思ったことはなくて、それなりに第一線で活躍する女優、がやりたいことだった。国際協力系のことをするなら、世界平和のために尽力したかった。途上国で必要があるんだか誰もわからないような仕事をして自分だけ年収1000万円もらう、みたいなのは嫌だった。夢見たどちらも、頑張ってもできないかもしれないことで、私は本当に頑張ることをそもそもしなかった。

 

それらの夢に比べたら、医学部に入ることは、勉強すればいいだけなので、できそうだなと思った。(理解されないかもしれないが、嫌味で書いてるわけじゃない。得意不得意はそれぞれ。)これは、私にとって、夢ではなくて、ただのプランだった。向こう見ずで無知だからそう思っただけだと思うけど、運良くすんなり実現した。で、今、日本で医師という職業についている。で、たまに思う。あれ?何やってるんだろう。と。妊娠中なので意識的に負荷を下げた生活をしているので、暇あれば昔々からずっと好きな女優の映像作品を見続けてる日々なせいか、なんで私は今、芝居をしてないんだろうと、その女優を好きになった時の自分が戻ってきたような感覚の中で、思う。もっと頑張れなかった自分を冷静に見つめている。ああ、結局、挑戦できない人間だったのだなあと。恥がかけない人間というか。これは、ここから変えていきたいと、今、思うに至ることができている。

 

もっとがむしゃらに頑張ってみてもいいというか、頑張ってみたいなと。10代は生きるのに必死で、逃げぐせもついた。20代は流れに任せて移動して具体性がない中で色々ちょこちょこ手を出した。30代ではやればできることはできるとわかったので、40代ではその逆に、恥かいて、本気で頑張って、目指してみたいと思う。やっと。あと2年半あるので、何をするかはこれから考える。そろそろ、本気出して、できるかどうかわからないことでも頑張りたいなと思う。別に全然、今からでも遅くない。

不確かさ

友達に、自分には妊娠する余裕がないし今後も持てるとは到底思えない、と何度も言われ、考えていた。多分それは逆で、余裕がないと妊娠したらいけないとあまり思ってないから踏み切ったのだろう。

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ラブと昌子

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色んな国の色んな友達が色んなタイミングで妊娠出産育児してるが、彼らの人生のどのタイミングであろうとこのイベントが追加されることで、基本的には予期せぬ変化を受容して適応、変化、することが求められていると思う。つまり必要なのはおそらく、今の人生における実際の余裕よりは、不確かさを今後の人生に追加する覚悟、ではないだろうか。

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そんなことを考えていると、そもそも自分が、妊娠した方が今後が面白そうだなと思った理由が、不確かさが減ってつまらなくなっていたからなのだろうなとすら思う。

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中学で芸能活動に足を突っ込んで、高校出てパントマイム劇団で1年働いて、全然知らないニューヨークに単身引っ越して、なんとなくアート商業の仕組みに飽きて色々特別感がなくなり、全然知らないブルキナファソに行って、途上国支援の歯車に入りたい場所が見つからず飽きて、全然知らない医学部受験にトライするという面白いイベントを見つけ、医学部自体はつまらなくて恋ばかりしていたけど医師業が未知だったので我慢して行って、今少し知った気になっているけどまだ医者をやろうと思っている。でも私にとってこの仕事を続ける生活にはあまりにも安定感がありすぎたんだと思う。

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ドラとラブ

自分の性質の問題でしかないが、ある程度の不確かさと負荷がないと、つまらなくなって息切れする。だから妊娠して、イライラしたり具合悪くなったりしてることは、大きな視点で見れば望んだところそのものだ。不確かさが追加されることでたとえ何かが予定通りにいかなくても、予定すること自体をそもそも好まない私にはそれすらもプラスだ。少なくとも、今のリズムを貫いてやり切ろうとは思っていない。

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行った国は40カ国程度で、地球だけでもまだまだ未知の世界があることは承知しているが、やはりどうしても、昔ほど異文化に触れることでワクワクしなくなった。だからって、アマゾンの奥地で生活するイゾラドのような文明から孤立する民族を訪ねて交流する無粋を侵すほどそれに興味も持てない。だからこれまでのようにとにかく興味に関連する国に引っ越して不確かさをプラスすることは今回は選ばなかった。まだ、医学にも医療にも飽きてもいないわけだし。

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今まで選んできたどの生活で得たものも、自分の中には残っていると思う。明確に鮮明にそれを自覚するわけでもないけど、生きる場所を変えてきても、その中で捨てたものはあまりない。

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今、突然の海外移住の気がないのは、犬がいるせいもあるのだけど、この犬を5年半前に家族にしてから今まで、犬といて良いと思うことしかない。そう思っていることも、子を産んで多少身動きが取りづらくなってもそれは大丈夫だろうなと思える後押しになっている。

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うちに来た日のみすぼらしくて痩せてたラブ

妊娠とイライラ

妊娠してから、ずっとイライラしている。ネットに聞いても産科医に聞いても助産師に聞いても、それは普通のことらしい。でも私はそれを自分が妊娠するまで知らなかった。精神不調を来たす覚悟はしていたが、こういう今まで経験のない類の不調だとは思わなかった。

女性ホルモンの分泌量や、体調変化、それによりできなくなる今までできてたこと、セーブしながらの生活や、体重増加による動きにくさと不調、変化の途中であることと産後大きく変化することへの未知への不安、などその要因はどれも考えてみれば了解可能なもの。

私のイライラは、別に私としては表面に出なければいいのだけど、もう最近はダダ漏れになってきてしまっている。医者という仕事の上でそれは結構マイナスだし、そうはありたくないと思っていた姿になってしまっている時もある。

あとは妊娠してからそもそも、情に薄くなっている。共感力の低下というか、実は犬も以前より可愛いと思えなかったり、本気で患者さんの心に触れた感覚になったりする能力が低下していたりする。

頭が冴えない感覚もある。つまらない本は全然読めない。アンテナは別の方(多分内的方向)に向き、直感力が落ちている。思考力はあまり変わらない気がするのは救いか。処理能力も落ちている。だから普段より慎重になったり、仕事が増える時はメモを取るようにしたりしてる。

まるで、別の人間の脳のファンクションを突然コピーペイストして移されたような感覚、というと大袈裟だが、それくらい、これまでとは感じ方、冴え方、が違う。これも理由は理論的に了解可能。全然嬉しいことではないのだけど、仕方がないことなので、せめて観察している。

自分に対する愚痴はあれど、他人に対する愚痴は多くなかったはずが、それがすごく増えている自覚がある。申し訳ないなと思う。しかし、やはりデフォルトでイライラする。こないだ会った患者さんは6人兄弟だが、お母さんは8年間で全員産んだ、双子はいないとのこと。産前と産後しかない8年間!すごい。現代なら多産DVが疑われるところだ。

しかし、こうしてベーシックなところで自分というものが変化している状態は、人間というのは本当にそれぞれ違う脳と感受性と能力を持つ生き物なんだろうなと実体験を持って認識させてくれる。人のことなどわかるわけもない。傾向を分析して型にはめてそういうことにして理解しようとする、だけだ。本当のところでのその人の感じ方なんて、一生わからない。これは発達障害の脳と診断について考えていた時にも思ったことだったが、実感を伴い深まった。

私がこういうネガティブにも取れることを書くのは、別にこれが当たり前のことでしかなくて、悪いことではないと思っているからだ。読んだ人に助けて欲しいわけではなく、どちらかといえば、同じ状況の人がいたらそれでいいのだよと伝えたいとか、それが言えない女性が多いだろうから世の男性たちへの啓蒙的な目的とか、あとはこの時間が貴重だと知っているので書いている。今しかない感覚かもしれない(だといいんだが)し、今書かないと忘れてしまう。

 

まあ、少し面白くはなってきたか。

 

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気鬱とそれを払拭するブルキナ/Depressed mood and strong vibes from Burkina

妊娠初期が終わりに近づいて、15週になると、所謂つわりはだいぶ楽になった。そして、鬱っぽくなった。

Around 15th week of pregnancy my morning sickness calmed a lot and I started to feel depressed. 

妊娠してから仕事や生活に制限がかかるようになって、なんだかやる気がなくて楽しくないなと思ってはいたが、初期はつわりがしんどくて、メンタル不調はそんなに重要事項としては感じていなかった。

After getting pregnant, I started to have restrictions on my job and everyday life, then I lost motivation about many things and life became not as fun as before. For the first trimester, because I suffered from morning sickness my mental non-wellbeing had been masked. 

身体が楽になると一気にメンタルにフォーカスが当たったのか、それともつわりを乗り切ったことでの一種の燃え尽き症候群的なメカニズムなのか、朝起きると胸が重くてしかし1日働いていればまあ誤魔化されていく程度の、いつもの軽鬱期の自分にも近い感じになった。研修医をしていて毎月働く環境が変わるのでそういうことも影響しているかもしれないが。

As my physical symptoms eased, I’m not sure if my attention suddenly shifted to my mental state, or if getting through the morning sickness triggered a kind of burnout-like mechanism. When I woke up, I started to feel heaviness in my chest, though it would generally fade as I get through the workday. The constant change of work environment every month as a resident might also be contributing, though.

 

ああ、やる気がない、楽しくない、医療にしちゃったのはやっぱ違ったんじゃないか、マジ来年小児科行くとか決めちゃったけどやる気ない全然やりたくない、ああもう仕事も辞めたい、みたいな感じになった。この頃はまだ胎動もないから胎児を感じることもなく、しかし腹は膨らんでいて身体は重く、子宮の靭帯が伸びていく痛みのようなものがキリキリする感じで、妊娠自体が全然楽しくなかった。

No motivation, no fun. I started thinking that maybe going into medicine after all was a mistake. I’d already decided to go into pediatrics next year, but I had absolutely no motivation and didn't know why I wanted to do it— I even felt like quitting my job altogether. At that time, as I couldn’t feel any fetal movement yet, I didn’t have a sense of the baby, but my abdomen was getting bigger, my body felt heavy, and I had this sharp, stretching pain from the uterine ligaments. Pregnancy itself wasn’t enjoyable at all.


妊婦ってもっと幸福に満ちてるのかと思っていた、と経産婦の友人たちに話して、いやいや妊婦とかマジしんどいから、とその時の自分の状況のつらさを当たり前と言って同意してくれて、だいぶ心強かった。

I had thought being pregnant would feel more joyful, so I told my friends who already had children. They said, “No, pregnancy is seriously tough,” and acknowledged what I was going through. I felt very much supported.

 

妊婦健診は職場で行ってたのだけど、仕事も一緒にしたことある仲良しの経産婦の助産師さんに、元気ですか〜?と言われ、いや元気じゃない鬱っぽい、と言ったらかなり真面目に話をしてくれた。妊婦の不調ってマジでいつ誰に相談すりゃいいんだよと思っていたんだけど、ああ今か、助産師って流石すげえなと思った。

I was having my prenatal checkups at my workplace, and one of the midwives—she’s had children and we’ve worked together before—asked me, “How are you doing?”  I said, “not good. I feel kind of depressed,” she took it so seriously and made time to talk with me  for some minutes. I’d been wondering who in the world I was supposed to talk to about feeling unwell during pregnancy, and I realized that this is the moment. I was impressed by how reliable midwives are.

 

私はああなんか上手くいってないかなまずいかも、と思い始める時には大体行動していて、その行動は大体、めっちゃ人に言うことなんだけど、何かの本に書いてあったが5人くらい相談したら1人くらいは助けてくれるというのは本当だと思う。5人どころじゃなく相談するので結構たくさん助けてくれる。その相談先は友人や同僚のこともあるが、助産師やカウンセラーなどのプロのこともある。

When I feel things aren't going well, I usually had taken some actions already. And most of the time, that actions are to talk to people. I once read in a book that if you talk to about five people, at least one of them will help you, and I think that’s really true. In my case, I talk to way more than five, so quite a few people end up helping me. The people I turn to are sometimes friends or colleagues, but sometimes they’re professionals like midwives or counselors.

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I went to a party because Yoko, who I’d been with in Burkina Faso, brought some Burkinabè to Japan and was about to move to the U.S. after getting married. The group was a strange mix, but the vibe was amazing. Burkinabè dance and sing so naturally, and that energy spread to everyone. No one was forcing anything, no one was judging. It reminded me of what I truly love, and that feeling was still there.

ブルキナファソで一緒だったヨーコが、ブルキナファソ人を日本に連れてきていて、そして自身は結婚してアメリカに行くと言うので、パーティに行った。ヨーコと旦那の近しい家族たち+ブルキナファソ人3人+元セネガル隊員のさおりと大津のブルキナべのホストのチハルと、私というおかしなメンバーの会だった。まあ私らはフランス語要因というかブルキナべと遊ぶ要因で呼ばれたのだが、めっちゃ楽しかった。エネルギーが、良かった。当たり前に踊る。当たり前に歌う。空気感は伝染して日本人もみんな心地いいバイブの中で踊り出す。私は踊ってなくて、それも良い。誰も無理していない、誰も誰のことも否定しない世界。懐かしさと新しさと希望を感じる会だった。ああ、好きなものちゃんとここにあったなと、思った。

Yoko, avec qui j’étais au Burkina, avait ramené quelques Burkinabè au Japon, et elle-même allait se marier et partir aux États-Unis. Donc je suis allée à la petite fête. C’était un groupe un peu particulier : Yoko et la famille proche de son mari, trois Burkinabè, Saori qui était ancienne volontaire au Sénégal, Chiharu à Ōtsu qui accueillait les Burkinabè… et moi. Bon, nous on était là un peu comme “le renfort francophone”, ou plutôt pour passer du bon temps avec les Burkinabè, et franchement c’était trop bien. Il y avait une bonne énergie, vraiment. Chez eux, c’est normal de danser, normal de chanter. L’ambiance se partage, se propage, et même les Japonais se sont mis à danser tranquillement dans cette bonne vibe. Moi, je ne dansais pas, et ça allait aussi bien.

C’était un monde où personne ne se force, où personne ne juge personne. Cette soirée m’a donné un mélange de nostalgie, de nouveauté, et d’espoir.

Je me suis dit : ah oui, ce que j’aime était toujours là, juste ici.

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つわり/ morning sickness

現在妊娠22週となり、法律的にも堕胎不可能な時期になったことで、堕胎する気は元々ないが、この妊娠がどうなろうとももうこの子供と過ごした時間は無かったことにはできないなと思うので、書き溜めていた文章を公表していくことにした。

 

Now at 22 weeks of pregnancy which in Japan is  the week you can no longer do abortion. Not that I considered it but it makes me feel that no matter how this first pregnancy ends, I cannot erase the days I've spent with this kid in my womb, so I decided to share some posts I've saved during the early pregnancy.

 

妊娠5週から始まって、ピークは9週10週くらいだったと思う。ああもう嫌だと何回も呟いた。症状は、軽い船酔い感、時により眠気、食べないと嘔気、食べると嘔気、嘔吐、夜間頻尿、抑うつ、など。一日中水も飲めないとかそんなことはなかったし、つわり中に体重は1キロしか減らなかったし、午前か午後のどちらかは仕事していたし、もっと大変な人はいっぱいいるのは知ってる。でも、つらかった。程度はみんな違う。でもみんな、つらいと思う。誰かよりはマシだから…なんて思わなくていい。長いから余計つらいんだと思う。毎日昨日のことを忘れてたら多分ここまでつらくないけど、不調がとにかく、長く感じた。

 

My morning sickness started around 5th week and went on for about 3 months until it really felt like ended. " I can't do this anymore." I muttered many times.

My symptoms were mild motion-sickness-like nausea, occasional drowsiness, nausea when I didn’t eat, nausea when I did eat, vomiting, nighttime urinary frequency, and feeling blue.

I could drink or eat something, and lost only 1 kg. I know there are many people who have a much harder time than I did. But so what it doesn't matter. It was hard.

The degree is different for everyone, but I think it’s tough for everyone. You don’t need to think, “Someone has it worse, so I shouldn't say it's hard.” What makes it especially difficult is how long it lasts. If you could forget how you felt the day before, maybe it wouldn’t feel this overwhelming, but the prolonged discomfort just felt endless.

 

ピークの時はちょうど先の進路やらも決めていた時期で、今が具合悪いと最先全体的に不安になるし、具合悪いと私はやる気が起きなくて、仕事のモチベが上がらないとかそんなレベルの話じゃなくて、家の片付けもしたくなくて、永遠と洗濯物が干してあったり、流しに洗い物が溜まったり、デリバリーで毎日何千円も使ったり、漫画を読み続けたり、した。短い履歴書を完成するのに10日もかかった。なんだこれ、これが鬱なのかなあと思ってたら、11週くらいで、全然つらくない瞬間とかが日の中で出てきたり、つらくない夜が出てきたりして、ふと突然、朝起きて気分が楽だった日、掃除した。履歴書もその日の午後に書けた。鬱明けした、と思った。マタニティブルーズの妊娠初期バージョンかな。

 

During the peak of my symptoms, I was also trying to make decisions about my future, and feeling sick made me anxious about everything ahead. Moreover, I had no motivation about anything. Laundry stayed hanging forever, dishes piled up in the sink, I spent thousands of yen a day on delivery food, and just kept reading manga. It took me ten days to finish writing a CV, which usually takes me just an hour. Mild depression continued.

Then around week 11, I started to have moments I didn’t feel awful, and even some evenings that weren’t difficult. One morning I suddenly woke up feeling lighter, and I cleaned my room. I finished my CV that same afternoon. It almost felt like I had come out of a depressive fog. Maybe it was the early-pregnancy version of maternity blues.

 

治らない病気の友達に想いを馳せたりもした。自分はただのつわりなのだが、具合悪かったのは事実なので、具合悪いって本当にしんどいなと改めて思った。患者さんたちもしんどいな、鬱々とするよな、そりゃそうだわ、と思った。この時小児科をローテしてたんだが、みなさん優しくて、居やすくて、やっていけるなと思った、というのも翌年の進路を小児科にした理由だったりする。

 

I also found myself thinking about friends who have incurable illness. What I had was just morning sickness, but the fact is that I did feel unwell, and it reminded me how truly exhausting it is to feel sick. It made me realize again how hard it must be for my patients too—of course they feel worn down and depressed.

At that time, I was rotating in pediatrics, and everyone there was used to work with someone like me, very kind and supportive that I felt comfortable and didn't have to make myself feel like I'm a damn. That was one of the reasons why I chose pediatrics for my next year’s specialty.

 

凍結受精卵はまだあるので、あるだけ妊娠して産んだらいいと思っていたが、いやいや私にはそんな何度もは無理だ、と思った。世の中の母たち、マジで?え?子供産むってこんなつらいの?うそやん、と思った。マジみんなすげえって思った。自分のつわりは多分標準的っていうか、こんなもんな人は多いと思う。たまひよの同じくらいの周期の人たちの掲示板見てても、多分そう。いやー、大変すぎる。モー娘。の辻ちゃんもマジすごい。

母になった友人たちにこれを言うと、つわりの時期はもう嫌と思うが、産まれて育ててるとそのうちまた妊娠に気持ちが向いていくもんだ、と。

 

I still have some frozen embryos. so I used to think I should just get pregnant and give birth as many times as possible. But —no way, I can’t go through this multiple times.

Moms out there… seriously? Giving birth is this hard? I was shocked. My morning sickness was probably pretty average, nothing extreme. Still, it was way too hard.

Those moms who give births so many times, are seriously incredible. But friends say, it's normal to feel this way during this period but when and after the baby is born, you'd come to forget all those and may come to be ready to get pregnant again.

 

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August 27 ultrasound