忘備録的に出来事ベースで書いていく。
人によって感じ方が本当に違って後期がへっちゃらの人もいるので今前期中期の人は絶望しないで欲しいんだが、私は、妊娠中一番辛かったのは、後期だった。と言っても37週で産んでいるので41週の人のことは全然想像できないし、何言ってんのよその後がしんどいのよと言われてしまうかもしれないが。総合内科、救急科、皮膚科のローテで、どんどんお腹は大きくなるし、なぜか咳が止まらないし、それで多分肋骨ヒビ入っていたし、お腹に押されて食べすぎると出てくるし、膀胱押されて四六時中トイレ行きたいし。という色々の中で、眠れないとかそもそもこれから大丈夫かっていう不安とかで、イライラしていた。
32週で犬を先に東京の母の家に連れてきて検診を受けて札幌に戻り、34週5日で関東に引っ越しの友達と一緒に札幌に来た。しんどかった後期に見つけた安らぎをくれた場所が、助産師さんがやっているmama loves babyという整体などなど産前産後のケアのサロンだった。後期の身体がしんどいけど、何がどうなっていてどこまでが大丈夫なのかとかどれだけ動いていいのかとかがわからなくて、「自分はちゃんと母になれるのか」みたいな漠然とした不安とか、お腹張ってる感覚ってどれだかわかってないのに陣痛きたらわかるんだろうかとか、現在と近い未来の出産とその後始まる母としての生活と、そもそも全然違う3つの不安が混沌とあって困っていた私を、そんな人間は今までたくさんたくさん見てきたわよというような経験と自信とカリスマの視線と傾聴で助けてくれた。オススメ!
mama loves baby: https://mamalovesbaby.jp
出産は割と突然決まった。36週6日の検診で妊娠高血圧の診断がつきそうな感じになって、家で何度測っても高かったら連絡してねと言われて帰宅してその日の夜にもうそういう状態だったので電話したら、じゃあ今から入院して明明後日(月曜)に誘発して産んじゃいましょう〜となって、少しはドキドキしたけどもう妊婦を卒業できることが嬉しくて仕方ないというテンションで入院した。入院したらお尻がプツプツして痛いことに気づき、様相は典型的ではなかったが、皮膚科ローテ直後だったので見事診断を当てた。帯状疱疹だった。誘発剤を左腕から点滴され、右腕から帯状疱疹の点滴をして、赤ちゃんへの感染予防に念のため水疱をテープでガードして、点滴しながらシャワーに入って患部を洗浄したりしては分娩台に戻る、みたいな感じだった。
私は産婦人科ローテの時、緩和ケアにしかほとんど興味がなかったために、緩和的な婦人科悪性専門の女医を勝手に師匠に決めて6階にあった婦人科病棟でくっついてまわっていたので、5階の産科を全然知らなかった。自然分娩は覗いた程度しか知らないし、帝王切開も小児科側での経験がほとんどだった。月曜に誘発して産みましょうと聞いてこの子の誕生日は月曜日か!と思ったら、その日は全然陣痛が乗らずに子宮腔4センチ開大止まりで(出産時は10センチ)、16時くらいに「今日はやめてまた明日頑張りましょう〜」と言われて拍子抜けした。火曜日もそんな感じで過ぎて、水曜日は朝から人工破膜(破水)して19時台に誕生した。その産院での無痛分娩というのは要は硬膜外麻酔で、内臓痛には効くが体制痛には効かない感じで、つまり最後に児頭が骨盤を押す痛みには効かないらしかった。しかしそもそも、陣痛をうまく乗せるために結構我慢した後に硬膜外麻酔を入れたので、私の場合は痛みが取れた!!みたいなの1時間程度で、どんどん骨盤を押す痛みでしんどくなって、麻酔足しても効かないし麻酔足すと陣痛遠のくしで、超痛かった。そりゃ硬膜外麻酔なしだったらもっと痛かっただろうけど、もうある程度の痛みを超えたところでの痛みなんて、超痛いでしかないんじゃないか。あとどれくらいで産める?と助産師に聞いて、1、2時間だと思うとニコニコ言われてああもう無理と萎えてたが、しばらくしたら児がちょっと苦しそうだとなって「吸引するから準備して」とさっき初めて私の前に登場した夜勤のベテラン医者が助産師に言っているのが聞こえて、「吸引してくれるんですか!!」と言った。笑 やったああ終わりだああとテンション上がった。クリステレル、という妊婦の腹の上から人が児を押す手技があるんだが、大ベテランぽい助産師が恍惚と登場して私の上に来て準備オッケーとなった。私は医者のくせにこの手技の存在を全然知らなくて、え?何これまじか、押すのか。。。!!とびっくりだった。陣痛きた→吸って〜→いきんでー!!の時にお腹を上からすごい力で押された。吸引分娩って永遠にはできなくて、確か5回(5ターム)まででダメなら帝王切開なんだが、4回やった。やばいもう一回でオペだ今頑張らなければやばいと最後めっちゃ頑張れたのは上限の存在を知ってたからだと思うので、それはまあ、良かったか。会陰切開は嫌だと産むまで思っていたんだが、その瞬間に圧迫が解除されて産まれたので、切開と縫合の痛みは麻酔で取れていたこともあり、救いの手技みたいに感じた。37週だったが、児の体重はもう3300g越えだったし、吸引だったしで、自然陣痛待ってたら下から産めなかっただろうね〜と医者に言われた。
無痛分娩に備えるために3日間日中は食事なしで誘発していたし、産む2時間前には分娩台の上で嘔吐するし、産まれた時は疲れ果てていて、ああ終わったと、はーはーしていただけで何の感動もなかった。もうちょっとで帝王切開だったし吸引とクリステレルでみんなに産ませてもらったしでなかなかに臨場感のある出産だったと思う。が、しかし、カンガルーケアで産まれた児の安全が確認されたらまだ暖かい胎脂でねっとりの児が私の胸腹部に置かれた時、愛だかオキシトシンだかアドレナリンだかわからないが愛しさが急にブーストしてきた。暖かかった。昔インドの日本人シスターに、愛は温度の交流だみたいなことを言われたのをまた思い出した。児は暖かかった。家にいる母親にメッセージで出産を伝え、コーラを買ってきてと送ったら、なんとカロリーゼロのコーラを買ってこられて彼女と過ごす予定の産後2ヶ月の最先が一気に不安になった。
産後はアドレナリンフィーバーみたいになっていて、3日間ほとんど眠れなくなった。このまま寝れなかったら確実に精神を病むと思ったのだが、その直後に眠れたら焦燥感はだいぶマシになった。私のマタニティブルーズはこの眠れない最終日だったと、振り返って思う。やばすぎるPMSみたいな感じだった。だけど、身体が自分だけのものになった感覚はしっかりとあって、妊娠中の得体の知れない取り扱いがわからない不調とは違って、元々PMSでピルを飲んでいた私にはこの不調は全然知らないものではなくて、後から思えばだが、比較的扱いやすかった。
産後はしっかり貧血で、鉄剤の点滴をしたり内服をしたりした。退院後2週間くらいは階段を登るのもしんどかったけど、貧血は産後1ヶ月でもう元に戻っていた。高血圧も産後3週間続いたので、何度かニフェジピンを内服したが、その後すうーっと治ってくれた。
100人100通りのお産があるというが、私のお産はこんな感じ。大変だったけど、まあ病院にいる人は大変な人がたくさんだし、特別この体験が私の人生で唯一無二の大変なイベントとしては残っていかないような気がする。出産年齢がそんなに若くないせいもあるか、医療者なせいもあるか。色々ある超印象的な体験のうちのひとつ、という感じだった。産んだ人には産んだ人の経験があり、産んでない人には産んでない人の経験がある。どちらもかけがえのない、優劣のない、女の人生。私は出産したことで、そういう感覚が強くなった。















