面白み

わかんない人にはよくわかんないかもしれないことを全然わかりやすくもない文章でバーっと書きます。

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昔、親友に、君とかボブマーリーとかは絶望してて、そんでもってそれがベースだからすごく優しい、君が頭良かったからでも突飛だったからでもなくて君が一番優しかったから君と一緒にいた、みたいなことをメールでもらったことがある。その時私は抑うつ状態で、ああもうしんどいしんどいっていう日々だったので、なんかめっちゃ泣いた。でもその時は何を言われてんのかよくわかんなくて、だけど最近ちょっとわかってきたのかも。

 

くだらないことがしたいとずっと思ってた。そんなことして何になるの?意味あんの?とか言われちゃうかもしれないようなこと、で、面白みのあること。舞台やってて実際それ言われたこともある。あはは、だよねー、意味なんかないよ、求めてないよって感じだった。

 

多分、究極は、希望が欲しい。

結構しんどいじゃん。

しんどいことってあるじゃん。

しんどい日々って大抵の人には訪れるじゃん。

大事な人を亡くすこともきっとあるし、自分の死を実感することもあるし、当たり前に、あるじゃない、だって全員、死ぬから。

絶望の一般化のために例に出しただけで、死が絶望と同義だとは私自身は思ってないよ。どっちかっていったら多分そこに希望のがみてた。

今はどっちでもない。

 

今私が病んでるとかそういう話ではなくて、改めて、確かに自分は割と絶望がベースのところで生きてるなと思う。別に悪いことじゃないよ。ただ、そういう人なんだと思う。「実存的うつ」って本読んでて出てきたんだけど、ああこれわかるなと。なんか結局全部救われないじゃん、みたいになりがち。自分がそういう人なことはいいのそれで。そこであらがってると一生しんどい。

 

だから、希望が必要

面白みが必要なんだろうね

 

わかりやすく必要不可欠そうな偉そうな顔した何かよりも
何のためにも誰のためにもならなそうで面白みのある何か
そういうものが必要で

ユーモアということなのかな
だって絶望だけしながら生きていけないよね

うわまじ最悪
みたいなことに面白みをどのアングルでもいいから見出せたらいいじゃん

ポジティブにとかそういう話では全然なくてね

絶望は絶望でいいのよ

でもそこで生きていかないとってなったらどうする?みんなどうしてる?絶望したことないですって人もいるんかもしれんけど、あんまりいないよね

 

病院ってさ

結構そういう、どうにもならない、その個人にとってはマジ最悪なことがゴロゴロしてると思うんだよね

悪いことしか言われないから病院にはいきませんって言う人もいるしね

 

逃げられないじゃない

病気ですと言われ

それが一生物の時もあるよね

しんどいのが、えー!これからずっとしんどいのかよ!ってことだってよくあるよね

さあどうする

生きていくの、大変だよね

 

みたいなそういうのに蓋しないでずっと生きてる、生きていきたいと思っている、気がするの

だから絶望がベースなんかな

 

意味のあることばかりが求められる

価値があるとか言われちゃってる社会の中で

例えば病気になってそれ全然社会にとっても自分にとっても意味も価値もないよただしんどいんだけどってなったらどうするよ

 

アフリカいるとさ意味ないことって多分ほとんど全てがそうだなって気がしてくるのね

だから絶望的な出来事への受け入れがすんなりなんじゃないかな

本当は意味ないことの方が真実に近いよ多分

 

だからさ

しんどくなったら

毎日を生き抜くのに必要なことって何でしょうね

って思うとね

小さな笑いとか

やっぱ、なんか役に立たなそうな何か

ユーモア

多分、その絶望的な物事をユーモラスに表現してしまうような皮肉のような面白みとか

ある種の開き直りかな

そういうのがないと

生きていけないかもなと思うのよね

 

そういうのがさ欠けてんのかな西洋医学って

 

って思って

 

今一気に考えてるきっかけは

躁鬱の天才アーティストの坂口恭平のブログ「躁鬱大学」

https://note.com/kyoheisakaguchi/m/m17c5c94dfa47

読んで、

そこから精神科医の神田橋の説き語り躁鬱病に飛んだら面白くて

https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf

 

例えばさ統合失調症は1/100人なるんだよ。

「治る」って感じでもないよね。

それならさなんかもっと、それを面白がって、自分も周りも面白みを見つけてさ、「病気」とか「しんどさ」が自分自身と直結すると感じる時ってさ、病気やしんどさを面白がれないと自己肯定できないし、余計しんどいと思うんだよね。

 

今の自分で今のままでそれでいいのだ

生きていてもいいのだ

って

明日死ぬとしても言えたらいいなと思う

ってのはつい先日某病院の面接で緩和について聞かれて口走ったことなんだが

 

そう

病気を否定ばっかしてたら自己肯定はできないよね

自分に絡んでくるもんはあんま否定しない方がいい

ヨガみたいにさ

それはあなたではないですから切り離しましょう

手放しましょう

ってできたら多分とてもいいんだけど

すぐには難しいこともいっぱいあるじゃんね

 

だからとりあえず

手放せなかったら面白がったり

なんかこの自分かっこいいやんと思ったり

うーん

うまく言えん

 

そういうのがあってさ

今日をまた生きていけたら、もうそれってそれだけでめっちゃ良いじゃん

 

価値のあること

生産性のあること

そういうのがいいって思ってやってたら

価値も生産性もない自分に誰でも生きてりゃなるかもしれないわけだけどさ

そうなった時に自己肯定感下がるよね

だから意味ないことって自分自身とか

人間そのものともっと近いと思う

そういうの愛せると、生きてていいってなるかもしれん

 

何でアーティストやってたのか

アートが真実だって確信してたのか

やっと何となく、なるほどと思う