文化に優劣はない

昨日、インドに行って貧しさに衝撃を受けたっていう話を男の子に聞いた。なんだか随分とその視点が懐かしくて、昔の自分と重なった。

 

文化に優劣はない。

ある時からずっと自分の中の大事なテーマなのだけど、簡単に理解できるようで、実は私はこれは毎日自分に問い直さないとすぐ、優劣つけがちになってしまう。

 

私も19で2週間インドに行った時、国際協力やろうと思ったんだと思う。それでその方向で生きてみた。国連言語3つ覚えて、国際学専攻して文化人類学の本読んでドミニカ共和国にフィールドワークいってトマト植えたりした。でもなんか結局何したいんだかわかんないしとりあえず協力隊に2年間行ったら、最貧国と呼ばれたその暮らした国の人々の心があまりに豊かすぎて、そこにあった自分の心も豊かになっていきすぎて、あれれってなって、見てる世界は多分また変わった。

 

ひとりの人間はもちろん多面的な文化的背景視点を持っていて然りであって、それは人の数だけある。その中でそれぞれが共有しているものやしていないもの、ある文化圏での日常が別の文化圏では絶対悪とされていたり、また別の文化圏からするとそれを絶対悪とすること自体を悪とする、ということは、よくある。

 

イスラムの女性がヒジャブを被ることを強要されているとして、男尊女卑を否定するその人たちはあれを悪とする。その文化圏の中にいたら、あの文化を悪とすることが正義とされたりするのだけど、その押し付けに白人至上主義を見て、はたまた私は定のいい現代の植民地主義の香りを感じたりもする。と言うか植民地化はその時代では別に「定のいい」行いだったのだから、今も昔も同じことなのかなとも思う。

 

協力隊にも同じことを思っていた。現地の文化に触れた時に、その中に自分が親しんだもしかしたら唯一の文化と照らし合わせて嫌悪感を覚えたりする。そこまではいい。私も多分犬が食されることに対する嫌悪感は一生拭えないしその必要もない。タチの悪いのは、大した調査もせずに文化の中に一方的に悪を見出してそれを変えてあげようなどと頓珍漢に烏滸がましく思って騒ぐことだと思う。だけど、やりがち。私も何度もやってる。だから毎日問い直すの。文化に優劣はないよ、都合よく見てないか?本当に相手のことを考えてるか?って。

 

これは医療でもめちゃくちゃ大事にしたい視点なんだ。本当にその患者さんの話聴いてるか?自己は今どれくらい満足してる?患者さんのために動いてるか?自己満足が一番になってるか?別になっててもいいけど、自覚しないと、とか。

 

インドの話をしてくれた新しい友達、いい機会をありがとう。また話しましょう。

 

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シンディとミンディは双子で生まれたんだ。ブルキナの双子は1500g以下で産まれるとか普通だし、どっちも育つってのは稀で、ある日シンディは病気で一回心停止したけど蘇生した。心停止の理由は、家族の考えでは医療ミス。シンディは帰ってきてから身体がフニャフニャになって体幹おかしくなった。でも生きてて良かったねって思ってたらミンディが急死した。家族が考える死因は教えてくれたことを尊重してここには書かないけど宗教観がよく見えるものだった。写真の子はシンディと母のミシバオ。良いと悪いはひとつじゃない。私が医療の道に来た理由の一つはこの人たちの存在だと思う。ずっと考えたいんだよね。人を文化と共に大事にもしたい。私も、私の文化と共に大事にされたいから。