緩和医療がしたいんじゃなくて、医療って緩和的だから
研修医半年たった。ずっと感じてること言葉にしてみる。
緩和医療に興味があるというと終末期かと思われがちなんだが、そういうわけではない。私にとっての医療がそもそも緩和であるというか、緩和でしかないというか。それを説明しようと試みる。
緩和か否かは治療可能か不可能か、ということではない。どっちも緩和だと思う。
例えば手術で「命を救っている」として、それが善であるとされるのは生が善で死が悪だから、なんてことではもちろんなくて、単にそれにより患者が緩和されるからなんじゃないか。
例えば手術で「命が救われた」としても本人が全然緩和されていなかったらその手術は善ではないだろう。
例えば認知症で自分の病気を忘れてる人に大手術して、術後痛みと入院に苦しんだとしたらそれは多分一般的にも善とは言い切れないだろう。
例えば命が救われたけど大事なものが失われたら?治療という行為が善なのではなく治療により緩和がもたらされた時に治療は善となり得るのではないか。
緩和という言葉の捉え方の違いもあるのかもしれないが、私は人間は、緩和されたいのだろうと思う。楽になりたい、のだと思う。
苦しみからの緩和、苦楽、苦しいから手術受けるんだと思う。だから治療はどれも基本的には緩和だ。うーん、今ひとつ説明がうまくない。
生の時間というものをどう捉えるか、の問題でもある。その治療によって80年間の未来が得られたのかと、50年なのかと、10年なのかと、1年なのかと、10日なのかと、1日なのかと、日の長さではないのかと。私がもし、そりゃあ長い方が価値があるに決まってるよと言い切ってしまえる観念の持ち主だったら、こんな文章は書いてないのだけど。極論に聞こえるかもしれないが、80年も1日も同じだろという感覚がどこかにある。歴史に意識を向けると、80年が一瞬であるように感じ、患者の今に意識を向けると、今日の1日のその一瞬の偉大さが全てのように感じる。80年も1日も一瞬で、儚くて、重い。
80年と1日が同じな理由は、80年を想う手術後の今日は1日でしかない、ということもある。未来を想う今日はいつだって1日で、その1日1日を死ぬまで生きていく。病により生の何かしらが障害され、何かしらの苦が生じ、それを緩和/楽に、するために病院にくる。辛さを抱えてるのはいつだって今日の自分。だから救われたのは患者の80年ではなくて、80年を想う/80年の可能性を持つ、今日の患者でしかない。明日死ぬ可能性が高い患者の今日が緩和されるのと、それは本当に全然違うことなのか?というのが私の問いであり、身についた感性。
人生の価値など他人に決められるものでもないし、不確かな未来の保証は不可能で、例え手術で子供の命が救われたとしても、その価値は、未来から担保されるものではなく、今日を生きる人間のもの/ためでしかないだろう。
未来の時間の可能性が得られるということが医療において価値を持つのは、医療者も患者も、死を恐れているからなんだろうと思う。手塚治虫のブッダでシッダールタが思ったように、人間の苦は未来の死を恐れていることで生じる、みたいなこと。(勝手な本の解釈かもしれないが。)ああよかった!「まだ」死なない。みたいなのって、今日を生きるために必要な、大事な、まやかし。
家庭医療ぽいことを言うと、なんのために、治療してるのか。治療するために治療してるのか。そういう人もいるよね。渦中にいると、もうそうならないとやってられなかったり、するよね。でも全員、治療以外の、その人としての人生や生活があるので、治療の目的が、それらがうまくいくためじゃなくなっていってたら、ある日、あれ?って気づくかもしれない。気づいてる余裕なんて、ないかもしれない。なんのためはみんな違うけど、絶対ある。そんで私は概ねそれが、緩和されたい/楽になりたいから、なんじゃないかと思ってる。
だから何科にいても、緩和的であれと思いながら、何が苦しいんかなって考えるのを大事に、仕事してる。
言語化はまだ難しいが、少し前進。
文化に優劣はない
昨日、インドに行って貧しさに衝撃を受けたっていう話を男の子に聞いた。なんだか随分とその視点が懐かしくて、昔の自分と重なった。
文化に優劣はない。
ある時からずっと自分の中の大事なテーマなのだけど、簡単に理解できるようで、実は私はこれは毎日自分に問い直さないとすぐ、優劣つけがちになってしまう。
私も19で2週間インドに行った時、国際協力やろうと思ったんだと思う。それでその方向で生きてみた。国連言語3つ覚えて、国際学専攻して文化人類学の本読んでドミニカ共和国にフィールドワークいってトマト植えたりした。でもなんか結局何したいんだかわかんないしとりあえず協力隊に2年間行ったら、最貧国と呼ばれたその暮らした国の人々の心があまりに豊かすぎて、そこにあった自分の心も豊かになっていきすぎて、あれれってなって、見てる世界は多分また変わった。
ひとりの人間はもちろん多面的な文化的背景視点を持っていて然りであって、それは人の数だけある。その中でそれぞれが共有しているものやしていないもの、ある文化圏での日常が別の文化圏では絶対悪とされていたり、また別の文化圏からするとそれを絶対悪とすること自体を悪とする、ということは、よくある。
イスラムの女性がヒジャブを被ることを強要されているとして、男尊女卑を否定するその人たちはあれを悪とする。その文化圏の中にいたら、あの文化を悪とすることが正義とされたりするのだけど、その押し付けに白人至上主義を見て、はたまた私は定のいい現代の植民地主義の香りを感じたりもする。と言うか植民地化はその時代では別に「定のいい」行いだったのだから、今も昔も同じことなのかなとも思う。
協力隊にも同じことを思っていた。現地の文化に触れた時に、その中に自分が親しんだもしかしたら唯一の文化と照らし合わせて嫌悪感を覚えたりする。そこまではいい。私も多分犬が食されることに対する嫌悪感は一生拭えないしその必要もない。タチの悪いのは、大した調査もせずに文化の中に一方的に悪を見出してそれを変えてあげようなどと頓珍漢に烏滸がましく思って騒ぐことだと思う。だけど、やりがち。私も何度もやってる。だから毎日問い直すの。文化に優劣はないよ、都合よく見てないか?本当に相手のことを考えてるか?って。
これは医療でもめちゃくちゃ大事にしたい視点なんだ。本当にその患者さんの話聴いてるか?自己は今どれくらい満足してる?患者さんのために動いてるか?自己満足が一番になってるか?別になっててもいいけど、自覚しないと、とか。
インドの話をしてくれた新しい友達、いい機会をありがとう。また話しましょう。
シンディとミンディは双子で生まれたんだ。ブルキナの双子は1500g以下で産まれるとか普通だし、どっちも育つってのは稀で、ある日シンディは病気で一回心停止したけど蘇生した。心停止の理由は、家族の考えでは医療ミス。シンディは帰ってきてから身体がフニャフニャになって体幹おかしくなった。でも生きてて良かったねって思ってたらミンディが急死した。家族が考える死因は教えてくれたことを尊重してここには書かないけど宗教観がよく見えるものだった。写真の子はシンディと母のミシバオ。良いと悪いはひとつじゃない。私が医療の道に来た理由の一つはこの人たちの存在だと思う。ずっと考えたいんだよね。人を文化と共に大事にもしたい。私も、私の文化と共に大事にされたいから。
ネガティブケイパビリティ
医師国家試験に合格しました。
医療というジャンルの中には、興味のあることがたくさん詰まっているのだけど、日本だからかもしれないけど、苦手なことや押し付けられたくない思想も溢れていて、めっちゃ疲れたし、産まれ直したように成長もしたなと思う5年半(1年の休学含めて)でした。
来月からは北海道札幌市手稲区にある、手稲渓仁会(ていねけいじんかい)病院で2年間の初期研修をすることになっています。俗に言う、研修医というやつです。色々病院を見に行ってこの病院を第一志望に選んだ理由が、生きやすそうだから。多様性を受け入れようという意志がある病院、人間って以外と医療界に少ないんですが、そういう雰囲気があったからここにしました。
ハルさんが小樽にいるし、踊りの世界にもまた入って行けたら良いなという想いもあり、楽しみです。
専攻はどうするの?とよく聞かれますが、今の制度では基本的には研修医2年間を終えないことにはそこまで行けなくて、まずは1ヶ月単位とかでとりあえずいろんな科を2年間まわらないといけません。その先の方向性としては、色々考えているけど、アフリカで医療ができたらいいなと思う反面、日本では小児発達とがんと緩和ケアに興味を持っていて、どれもってなると何科なんだろうなあ〜。と考え中。最終的には家庭医なのかなとも思いますが、しんどさを抱えて生きる日々がある時にそのしんどさが軽くなる手伝いがしたいなとざっくりですがしっかりと思っています。
新たな門出となり、20代後半まで医者になることを想像したことがほぼなかった私としては、医者か〜マジかよ大丈夫か?って普通に思います。笑
高校時代から、毎日が大変すぎて、人生が長く続くイメージは持てませんでした。ブルキナファソで生活して、そして2年前には皮膚がんを見つけて治療を受けましたが、その2つの経験から、自分の死を以前に増してより近い未来に感じていました。自分の生きていく未来もあまり信じていなかったです。でも、それは、突然のいざという時、例えばブルキナファソ時代にクーデターが起きたから突然に無期限外出禁止を言い渡されたり(大体3、4週間で明けました)、2年前に突然悪性だったから〜とがん告知されたり、次のそういう時に焦らないように、いやいやそもそもそんな生きるって思ってないんで大丈夫ですという予防線を張っておきたくて身につけた、逃げ気味の死生観だったように思います。
だけど今はもう一段階強くなって、全然予想してない、衝撃的で例えば最悪な未来が降ってきてもまあその時対応するっしょ別に。って思えてるので、すぐ死ぬんじゃないの?と思って生きるのをやめることができました。生きていれば色々あるけど、何が起きても都度受け止め、悩み、生きていくしかないし、そうしようと思っています。
そういう心持ちになれたのは、よくわかんない状態を許容することができるようになってきたからだと思います。滋賀県で出会った緩和ケア医で私の師となった女性がいます。彼女に指摘された様々なことの中で最も私にしっくりきたのが、ネガティブケイパビリティの欠如でした。よくわかんない状態に身を置いておくことが、ずっと苦手でした。白黒つけたい、みたいなことなのかもしれないけど、なんかうまくいってない感じが許せない。でも生きるってそんな白黒綺麗につくようなことではないなってやっと納得しました。よくわかんないこととか、あんまり嬉しくない状態でいるだとか、まあそういうことも含めての日常で、その日々の継続の中で勝手に変化していくものもあって、それで生きてても別に大丈夫なのだという感覚になってきました。
突然の変化や制限がとても苦手なことは変わっていないのだけど、打撃を受けていてもまあそれもそんなもんだと思えるようになってきたということかな。例えるなら、パニックにはなるけど、パニックになっている自身にパニックになって引きずったりはしないという感じです。
5年半暮らした滋賀県は、本籍をそこに移したくらい愛着を持てました。親元を離れて暮らした初めての日本の地だったせいかもしれませんが、色んな課題が浮き彫りになって、長い時間悩んでいたような感じもありました。
滋賀県で一緒に過ごしてくれたみんなありがとう。
滋賀→新潟港→小樽港→札幌の手稲
に3日間かけて、犬2匹連れて引っ越してきました。出発の1週間前にドラムちゃん(昨年11月からうちの子になった元保護犬チワワ)が突然体調崩してご飯食べなくなって、結構ドタバタでしたが、ドラちゃんもお薬飲んで(継続中)回復してみんなで来れました。船酔いの薬を犬にしか用意してなくて、犬は元気だったけど人間は吐いてましたが、無事に着きました。江戸時代の上洛を終えたくらい遠かった気分。
今日から新生活、札幌です。
空いてる部屋あるので遊びにきてね。
女性とのお見合い/ matching agency for same sex lover
私は色んなマイノリティに属してると思う。マイノリティイコール弱者だとは思ってないけど、そこはやっぱり繋がっていきやすくもある。環境因子によって自己肯定感が下がりやすい種類のマイノリティはそのまま弱者になりやすかったりする。
I think I belong to several different minorities. It doesn't necessarily mean that I'm socially vulnerable, but it often connects self to the vulnerability especially when the one is in the environment where one's self-esteem can be easily harmed because of the fact that he/she "isnt normal."
最近、同性のパートナーを紹介してくれる相談所に登録した。リザライという会社で、東京と大阪にある。現地に行ってコンシェルジュと面談して、お金を払って、毎月ひとりの女性を紹介してもらう、ゆっくり進む同性の結婚相談所のような感じかな?
Very recently I registered myself to the matching agency where introduces you to other same sex lover clients. It's kind of like a mariage counseling for LGBTQ. When I came back to Japan 6, 7 years ago, yet such agency hadn't existed in this country, but now, it's rapidly developing and I am trying to change too.
お見合いをしてると、自分を客観視する機会が増える。自分と似たような嗜好を持つ性的マイノリティは、実は生きてきた境遇も似ていたりする。それだけでも、あなたはそれで良いのだよ、私もこれで良いのだよ、の気持ちが強くなる。
meeting other girls who have the same kind of love preference makes me realize that I'm not the only one, in many ways. They might have the tendency to experience similar sort of life problems. These meetings strengthen my feeling of we are good as we are.
医者の勉強を始めて、本気で患者との対話を試みる医師の先輩にも数人出会い、そこでの気づきを大事にしながらヨガ療法でカウンセリングを通して他者の話を聴いていたりすると、またそこでも自分を客観視することになる。色んな人がいるし、マイノリティだマイノリティだと自己意識が強かった自分は、ただの、ひとりの人なんだなと気づく。それぞれが多数のマイノリティにより構成されていて、その中で社会的言説として目立つテーマのマイノリティもあって、私はそれを多めに持ってるだけ。そして最終的に私のそれらを特別視することにしたのは社会ではなくて、私自身だと、気づく。
On the path for becoming a doctor, I learned from some doctors who really try to hear the words of patients. Keeping the findings from them in my mind, I've been trying to hear the real words of clients through Yoga therapy (I'm also learning to become a Yoga Therapist), again there I come to look objectively at myself. I realize that I was very much putting attention at the fact that I am a minority, but it is just everybody, each of us is consisted of many minorities and some stand out in the social discourse and many of mines as well, but at the end it is myself who decided to make a value and let them stand out. I realized that I'm just one of everyone and we all live.
私はとても集中しがちな人だと思う。
その集中が自分に向いてると、失敗する。大抵そういう時は負のループに陥ってぐるぐるぐるぐる悩んでいる。
この人が今より楽になるには何が必要だろうかとかそういうことに集中してる時は、いい感じに生きてると思う。
そっちを増やしていこうと思う。
when I'm focused on myself, I'm not in a good cycle. I'm better living when I'm focused on the happiness of the people in front of me. Better when I'm Thinking about "what is needed for this person to be eased?" like questions. I'd rather spend my time for that.
ずっと女の人が好きだった。
でも男の人を好きになったことも少しはあって、これがバイセクシュアルという言葉で表現されるのかと言われるとどうもしっくりこないので、ほとんどレズビアンのバイセクシュアルで性自認は男ではないけどクエスチョニングですという、なんかよくわかんない、感じになるけど、まあそんなもんだ。
Ive been loving women always.
but some few times I came to like men. I can't really fit myself fully to the word such as bi-sexual. I am a bi-sexual who is more like lesbian and I am not a man but don't know what I am. Maybe something like that.
積極的に彼女づくりのために動かなかったせいでいつも異性愛者の女性ばかり好きになってた。その相手ひとりひとりとも密な掛け替えのない関係ができてたし、十分だこれでいいと思ってた。
ive never actively made an action to meet same sex lovers so I always came to like females who are heterosexual. I always made deep unique relationships with each of them, I was thinking it is enough and I'm good like this.
だけど自分を労る方法とか教えてくれた人がいて、果てに、気づいた。私も愛されたいと。そんで考えたら、今までこれでいいと思ってたのは、もしも本気で女性の相手を探したら、見つからなかった時に、自分が愛されることがないということを認めなければならなくなる気がしてた、ということ。いやいや私だって愛される可能性ちゃんとあるでしょうよとやっと思えて、相談所に登録した。
But for the past one year I was taught how to be kind to myself. Then I realized, that I want to be loved. I realized that the reason why I've thought it's ok like this without being loved is my feeling or trauma that if I start to try to find a lesbian partner, when I can't find any, finally I will know that nobody loves me on this earth. but it is insane believing that I will never be loved. Of cause I also do have the possibilities to be loved as everyone does. When I could believe in that, I registered myself to the agency, to find someone who I love and who can love me.
色々やってきたけど、自分にとってやり易いことばっかりやってきたと思う。本当に大事なことにはまだ向き合って進むことがあんまりできていなくて、だからまだ生きててよかったんだなと思う。やること多分いっぱいあるなあと。
I've done many things in life. But I think I've only done things that were easier for me to do. I left most of the things really important without a touch. And that is why it's good that I'm alive. That I still have so much to do in my life.
お見合いは第一歩。
Meeting people through agency is a first step.
これ書いてることも、第一歩。
Writing this is also a first step.
最初の一歩はおそらくいっぱいあるけど、ゆっくり色々踏み出していこうと思う。
Many many first step is there but slowly I would like to start.
多分そっちのが、楽しいから。
Because then it's more fun.
楽しいの塊:いぬとの生活
追記
ここ1年くらいブログで色んなカミングアウトをしているような感じになってるけど、自分に嘘つかないで生きることが今の自分のテーマの一つなんだろうと思う。社会という場所で生きにくさを抱えやすい人は絶対いると思うんだけど、自分の色んなことを認めて発信していくことで、自分も誰かも少し楽になる、みたいなことがあるといいなとも思って書いてる。
向かう場所
ヨガ療法士に、例えばホスピスで、死をストンと受け入れることができたとしたら、それで終わりですか?
と聞かれて、頭が止まった。
やりたいことがあれば、やれるようにしたいとは思う。例えば最期は家でとか決めたなら、それが叶うようにとは思う。けど…。
と返した。
ホスピスの人も、私もみゆさんも、ひとつの場所に向かって死ぬまで生きていくだけじゃないですか?
そんなニュアンスのことを彼女は言った。
その後、ホスピスの医師に、質問してみた。
死をストンと受け入れたら、それでおしまいですか?
そこからまた苦しみが始まるよ。
と医師は言った。
ちょっと衝撃的な答えだった。
え、そうなの!?って返事したと思う。
死への受容のお手伝いが出来たらいいと漠然と思っていた。でも私自身がしっかりそこに到達していないのなら、そりゃあその先のことはわかってないわなと、おそらくそこにかなり到達してるであろう身近な仙人級の人々2名と話して、再認識した。
私が向かうのはどこだろう。
向かいたい場所と向かってる場所と向かうべき場所と、合ってるだろうか。
変わらないひとつのその場所はきっとずっと変わっていないのに、それを酷く変動的に捉えてしまっている私の目線自体が、苦しみの根源となるんだろうか。
がん告知を受けてから人生が変わった、という話を昨日聞いたが、その話は肯定的な変化についてだったんだが、そこで修正されたのは、その変わらない場所への認知だろうか。
昔々、好きな人に対して駆け引きみたいな会話をしようとしていたら、「I'm not your toy!」とキレられたことがある。それに近いことを、人生においてずっとやっているような気がする。本当に行く先を誤魔化して、目先の虚像に翻弄されることで誤魔化して、愚痴を言って凌いでいるだけなんじゃないか。
だけどそのタイミング、変わらない場所への認知の修正とそれにより生じる心地よいばかりでは決してない変化は、人に強制できるものではないし、自分の意思だけではおそらく決めることは難しいのだと思う。
それは医師という職に就いても同じ。みんながそこに達するわけではない。全然、ない。
今日は、ここまで。
これ以上書くと嘘が出てきそうなのと
卒試の勉強した方がいいのと
@コメダ珈琲大津京店
面白み
わかんない人にはよくわかんないかもしれないことを全然わかりやすくもない文章でバーっと書きます。
昔、親友に、君とかボブマーリーとかは絶望してて、そんでもってそれがベースだからすごく優しい、君が頭良かったからでも突飛だったからでもなくて君が一番優しかったから君と一緒にいた、みたいなことをメールでもらったことがある。その時私は抑うつ状態で、ああもうしんどいしんどいっていう日々だったので、なんかめっちゃ泣いた。でもその時は何を言われてんのかよくわかんなくて、だけど最近ちょっとわかってきたのかも。
くだらないことがしたいとずっと思ってた。そんなことして何になるの?意味あんの?とか言われちゃうかもしれないようなこと、で、面白みのあること。舞台やってて実際それ言われたこともある。あはは、だよねー、意味なんかないよ、求めてないよって感じだった。
多分、究極は、希望が欲しい。
結構しんどいじゃん。
しんどいことってあるじゃん。
しんどい日々って大抵の人には訪れるじゃん。
大事な人を亡くすこともきっとあるし、自分の死を実感することもあるし、当たり前に、あるじゃない、だって全員、死ぬから。
絶望の一般化のために例に出しただけで、死が絶望と同義だとは私自身は思ってないよ。どっちかっていったら多分そこに希望のがみてた。
今はどっちでもない。
今私が病んでるとかそういう話ではなくて、改めて、確かに自分は割と絶望がベースのところで生きてるなと思う。別に悪いことじゃないよ。ただ、そういう人なんだと思う。「実存的うつ」って本読んでて出てきたんだけど、ああこれわかるなと。なんか結局全部救われないじゃん、みたいになりがち。自分がそういう人なことはいいのそれで。そこであらがってると一生しんどい。
だから、希望が必要
面白みが必要なんだろうね
わかりやすく必要不可欠そうな偉そうな顔した何かよりも
何のためにも誰のためにもならなそうで面白みのある何か
そういうものが必要で
ユーモアということなのかな
だって絶望だけしながら生きていけないよね
うわまじ最悪
みたいなことに面白みをどのアングルでもいいから見出せたらいいじゃん
ポジティブにとかそういう話では全然なくてね
絶望は絶望でいいのよ
でもそこで生きていかないとってなったらどうする?みんなどうしてる?絶望したことないですって人もいるんかもしれんけど、あんまりいないよね
病院ってさ
結構そういう、どうにもならない、その個人にとってはマジ最悪なことがゴロゴロしてると思うんだよね
悪いことしか言われないから病院にはいきませんって言う人もいるしね
逃げられないじゃない
病気ですと言われ
それが一生物の時もあるよね
しんどいのが、えー!これからずっとしんどいのかよ!ってことだってよくあるよね
さあどうする
生きていくの、大変だよね
みたいなそういうのに蓋しないでずっと生きてる、生きていきたいと思っている、気がするの
だから絶望がベースなんかな
意味のあることばかりが求められる
価値があるとか言われちゃってる社会の中で
例えば病気になってそれ全然社会にとっても自分にとっても意味も価値もないよただしんどいんだけどってなったらどうするよ
アフリカいるとさ意味ないことって多分ほとんど全てがそうだなって気がしてくるのね
だから絶望的な出来事への受け入れがすんなりなんじゃないかな
本当は意味ないことの方が真実に近いよ多分
だからさ
しんどくなったら
毎日を生き抜くのに必要なことって何でしょうね
って思うとね
小さな笑いとか
やっぱ、なんか役に立たなそうな何か
ユーモア
多分、その絶望的な物事をユーモラスに表現してしまうような皮肉のような面白みとか
ある種の開き直りかな
そういうのがないと
生きていけないかもなと思うのよね
そういうのがさ欠けてんのかな西洋医学って
って思って
今一気に考えてるきっかけは
躁鬱の天才アーティストの坂口恭平のブログ「躁鬱大学」
https://note.com/kyoheisakaguchi/m/m17c5c94dfa47
読んで、
そこから精神科医の神田橋の説き語り躁鬱病に飛んだら面白くて
https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf
例えばさ統合失調症は1/100人なるんだよ。
「治る」って感じでもないよね。
それならさなんかもっと、それを面白がって、自分も周りも面白みを見つけてさ、「病気」とか「しんどさ」が自分自身と直結すると感じる時ってさ、病気やしんどさを面白がれないと自己肯定できないし、余計しんどいと思うんだよね。
今の自分で今のままでそれでいいのだ
生きていてもいいのだ
って
明日死ぬとしても言えたらいいなと思う
ってのはつい先日某病院の面接で緩和について聞かれて口走ったことなんだが
そう
病気を否定ばっかしてたら自己肯定はできないよね
自分に絡んでくるもんはあんま否定しない方がいい
ヨガみたいにさ
それはあなたではないですから切り離しましょう
手放しましょう
ってできたら多分とてもいいんだけど
すぐには難しいこともいっぱいあるじゃんね
だからとりあえず
手放せなかったら面白がったり
なんかこの自分かっこいいやんと思ったり
うーん
うまく言えん
そういうのがあってさ
今日をまた生きていけたら、もうそれってそれだけでめっちゃ良いじゃん
価値のあること
生産性のあること
そういうのがいいって思ってやってたら
価値も生産性もない自分に誰でも生きてりゃなるかもしれないわけだけどさ
そうなった時に自己肯定感下がるよね
だから意味ないことって自分自身とか
人間そのものともっと近いと思う
そういうの愛せると、生きてていいってなるかもしれん
何でアーティストやってたのか
アートが真実だって確信してたのか
やっと何となく、なるほどと思う
ヨーガ療法と私について
私がヨーガ療法に出会ったのは、今からちょうど3年ほど前、2020年の夏頃だったと思う。恋愛のゴタゴタとか色んなものへの不適応とかでごっちゃごちゃになっていた時に、精神科医に勧められたのが滋賀県にいるヨーガ療法士のY先生がやっているヨーガ療法教室だった。
私は結構、助けて欲しい時に、助けてくれと言うタイプだと思う。私が惚れる女性は大概がめっちゃ優しい頭のいい人なこともあり、昔からいつも、すっごく助けてくれる人、に巡り合ってきてる。だけど、欠点もあって、それは相手に依存しがちになってしまうということだった。
ヨーガ療法のすごいところは、助けてくれるのはヨーガ療法士ではなくて、自分自身だという点だ。ヨーガ療法士に導かれ、自ら悟りを開いていく自分自身が、自分を救ったりする。自身の内にある救いは、とても使いやすいし、それになんとなく気づいていると、刺激に翻弄されにくくなる。(私はまだまだ思いっきり翻弄されているが、目指すのはそういうこと)
Y先生とのセッションは、いつも不思議な安心感があった。でもそれは、彼女そのものの人間力とかによるものというよりは、私の、というか人間の普遍的苦しみの原因を知っているが故の、解き放たれるまでの道への確固たる自信を持ったガイダンスのようなものだったと思う。
(思えば、ブルキナファソで出会った日本人看護師からも似たものを感じて、それで私は医療という領域に興味を持ったのだった。)
ヨーガ療法士を目指し始めたのは2020年の12月、まずはYTCという、ヨーガ療法士育成講座の前期を1年間強かけて(早い人は半年で終わる)オンライン受講した。この講座は、自分自身が楽になることを知るためのものだとY先生は言っていた。実際、ひとりで動画を見て呼吸したり瞑想したりするのを不真面目ながらも繰り返すうち、自分の中にずっとあった、自己否定の呪いのようなものが、ほとんど完全に自分の妄想であったことに、ふと気づいたりした。
気づいただけでは抜けられなかったのだけど、昨年出会った、私のメンターとなった緩和医の導きによって、実生活での行動変容に繋げていくことにも成功した。
2022年6月からは、YTICというヨーガ療法士育成後期講座を取っている。この講座はいよいよ、ヨーガ療法士としてクライアントにどうやってカウンセリングをするのかとか、見立てをするのかとか、そういうことをメインに教えてくれる。月1回のズームでの会合と、ネット上に上がる動画をみたりレポートを出したりしながら今1年経った。
いよいよ終盤に近づいてきてて、先月から10人のクライエントに対してヨーガ療法を行ない、最低3ヶ月間経過をみて卒業論文に記載する、というフェーズにきている。Y先生には、自分のできることの範囲以上でも以下でもない、ということを知っておくことが大事だと助言をいただいた。気負いすぎて、いいことは、お互いにとって起きないだろう。多分、自分が何者でもないことを知っているということは、人の話を聴いて導いたり紐解いたりする職業の人には、大事なことだと思う。何者かになりたくなってしまう時、なんか余計なことをしたりするのかもしれない。
クライアント集めは、ヨーガ療法の人々に紹介してもらったりもできたと思うんだけど、とりあえずFacebookで募集してみたら、ありがたいことに、2日間で集まった。未熟な私の未熟なヨーガ療法に付き合ってくれてありがとう。それでもヨーガの呼吸と緊張と弛緩はしっかり心と身体を緩めてくれるので、人々に伝えることができて、みんながヨーガの力で自然と緩んでいくのを見てるのは、嬉しい。
私がY先生に教わって、思考と停止と実践と振り返りを繰り返しているのが、「執着を手離す」ということ。そうなるまでにどれだけのステップがあるのかは人と案件によるんだけど、そうなって仕舞えば、何が起きても大丈夫なんだよということをY先生が知っててくれたこと自体が心強かったと思う。そういう風に、私もヨーガ療法のセッションができるといいなと思う。
広い意味での緩和に携わりたくて医師になろうとしているのだけど、ヨーガ療法は私にとっての数ある緩和の手法のうちの絶対的なひとつかなあと思う。
一旦ここまで。またそのうちに。