舞台芸術が天職だと確信した16歳の時は医者になるなんて思いもしなかったが、30歳目前にして唐突に医療を選んだ理由のひとつに、アートよりわかりやすく人を助けてる実感が欲しい気がした、というのがある。助けるのは一方通行じゃダメで、助け合わないと助けてる実感で満足などできない。つまらないなあとずっと思ってるのは、今いる医療現場ではそういうものを結局全然感じないせいかも。当たり前だが、帰りを待ってる犬との方が、助け合いの実感はよほど強い。

アートのわけわからん感じの合戦みたいなのにはニューヨーク出る時には既に飽きていた。ニューヨークには前衛的と言われるようなアートがいっぱいで、そういうものをそういう系の場所で公演するとそういう系のアーティストが見に来て、そういう系の中での新しい感じとか古い感じとかが目まぐるしく変化していくけど、それに追いつくことに一体何の意味があるんだ、と思い始めていた。アーティストのための、アートのためのアート、に飽きていた。ひとつひとつはワクワクドキドキするし確かに面白いんだけど、でももっとそこにいて、アートを作り続けたいという気持ちにはならなかった。最前線のことは最前線の人にしかわからなくて、それをずっとわかることに価値を見出さなかった。多分だから、出てきた。一生暮らすかもと思って引っ越したけど、6年弱で出て、そんでブルキナに行った。

今もちょっと似てるのは、医療のための医療に、患者も、自分も、価値を見出せていないので、なんだかお互い何のために何やってんだか宙ぶらりんな感じがするんだろう。アートのためのアートは大衆を置き去りにして、医療のための医療は患者を置き去りにする。医学生の時みたいに、それにムカついたり意義を唱えたりはしない。ただ、そういうものに自分は興味がない、からどうにもつまらない、というだけだと思う。

できる業務は増えていく。そりゃそうだ。そういうのは別に苦手でもない。でもそもそも私は、介護士の時からすでに、「業務」に興味がない。「医療は生活のツール」って浅井の特別養護老人ホームのスローガンのひとつだけど、やっぱそれに共感する。じゃあなんでそっちにすぐ行かないのかって、まあ多分、優しいヤブ医者でいいと思っていたのだけど、このままだとヤブすぎる気もしたから、今はつまらないけど修行期間なんだろう。嫌になったら、もしくはもうそろそろこの程度のヤブでもいいかと思えたら、人のための医療がベースの現場に移ろうと思う。多分、ガイドラインや決まりごとの医療よりも、対話が先にある現場なんだと思う。それは絵空事ではないことは、私はもう知っている。あー、もうちょっともうちょっと、と思って、ゆるりと今のこの場所に身を置こう。

Photo from 2023. July























