私の患者成功体験記/ to be a successful patient

「私ががん患者になった話」を書いて、いろんな人が連絡をくれた。大事な話を打ち明けてくれたり、想いを真っ直ぐに伝えてくれたり。書いてよかったなと思った。

 

After writing the former blog about story of myself becoming a cancer patient, many people contacted me telling their and their families’ stories. Basically what I wrote there was that the experience of being told that I have a skin cancer made me realize that I will die one day just like others, just like the old people who I am taking care of at my job, and we aren’t different, we all just live now and will die one day, and that’s why life is precious and fragile, and I want to spend my time for other people’s time to be a bit happier. My cancer seems to have been completely removed and I have no more treatments after the operation that I took in April 2022, but that’s not the point. We all live and are on the path for the death, that’s the same for us all.

 

私は医学部5年生で、毎日、白衣を着て病院にいる。関係者以外には学生だってことはわからないと思う。ぱっと見はおそらく医者。実際は素人と玄人の狭間で、うろ覚えの医学知識と実際の患者さん(症例、などと呼んだりする)を照らし合わせながら、医療の裏側を社会科見学して、憧れたり幻滅したり諦めたり闘志を燃やしたりしてる。私には、理想の医師像ってのがなんとなくあるが、がん患者になってみて、理想の患者像があることに気がついた。それを求めるためには、医師の協力は不可欠だった気がして、色々求めてみたけどあんまりうまくいかなかった。執刀医との関係は今も良好だし、私は彼を信頼もしているけど、その信頼の次元は当初求めたものよりも低い。

キューブラーロスの死の受容のプロセスとか、ショッキングな現実が起きた時に人はどういう経緯を辿っていったらうまいことそれと付き合っていけるか、ってのがある。そういうことを考えながら患者さんをそこに誘導していったり、医療者は考えてると思うのだが、私はその医療者的な視点から私自身に対して、患者として私が歩むべき理想の患者像を追っていた。患者としてなにをどう頑張ったのかを、ちょっと書いてみる。

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I am 5th year medical student toward the end of the year now, everyday at the hospital I wear a white coat following doctors, From outside, I know I look like a doctor. I am in the middle of amateur and professional, I see things from both sides. I realized that when I became a cancer patient, I have a image that in order to accept and live with the disease, “how patient gotta be.”

 

 

①伝えるべき相手に伝える

 

先のブログに述べたように、告知は間抜けなものだったのだが、特に気にしていないので詳細は省く。告知を受けてまず気がついたのは、自分が動揺しているということだった。それが具体的になんていうがんだとか、治療とか予後とかそんなことは関係なしに、「悪性だったよ。」っていうフレーズだけで動揺した。当たり前。その日はバイトまで4時間あって、とりあえずひとりでカラオケに行った。大事な女性に電話をかけたけど音信不通だったので、同居人たちへメッセージを送った。

内容は、「たぶん悪性、病名、予後、転移率、医大でオペ、寛解まで5年、植皮かもでそれはめんどくさいかも」という感じ

読み返してみるとなんかテキトーだなと思ったが、まあ、そういう配慮だった。同居人たちは全員医学の素養がある人たちだったので、調べたければ自分で調べるだろうし、これ以上の話をしたければ、聴きたければ、直接だし、でも帰宅して直接で突然ゼロから話されたら相手が動揺するかもしれないから聞く準備をしてもらっておこう、という意図で送った。「バッドニュースの伝え方」って医学部で話題になるんだけど(医療者が悪いニュースどういうふうに伝えると相手が楽かとか)、これは当事者本人から周りに伝えるときだってそうだった。自分が自分のことを言われて疲れてんのに、そのニュースを伝えられて疲れる相手の疲れをどうやったら少なくできるか、を考えてた。

患者ってタイヘン!と思ったよ。

 

①Tell

After being told that it was malignant, I was kind of upset, not very much but I wasn’t calm. What I did first was calling my important person but she was absent then, so I went to a Karaoke box, isolated myself from outside, then wrote a message to my roommates’ chat group. I said it was maybe malignant, the complete name of the disease, metastasis is rare, maybe surgery at where, prognosis is good, 5year until remission, maybe skin grafting and that’s a bit troublesome. When I wrote this, I tried not to sound too serious but not too easy either, I didn’t want to make them panic but I wanted them to support me in the future in case I panic. So I wanted to give them time to digest a bit then listen to me later when I come home.

 

 

②できるだけ本音で言う

人々に話す時に気をつけたのは、平気なフリをしないこと。割と平気だったので、全然大丈夫ですよという体でも話せたんだけど、不安もあったし、動揺もあったし、それは淡々と話す中で完全に隠さないようにしようと思った。しんどいのはこれからかもしれないし、何のために今話してるかって、しんどい時に助けてほしいと思うからな訳で、私大丈夫ですよって虚勢をはるだけなら、打ち明けている意味がないと私は思った。

 

②be honest as much as possible

I tried not to fake myself when I told people. Actually I was not panicking and not really struggling myself, so I could completely pretend to be super fine. But I didn’t do so as I was telling them things to get their supports in the future in case I fail. I thought it is important not to pretend to be strong.

 

 

③全部見せる相手は選ぶ

だけど、動揺してるんです、どうしよう!!みたいなぐちゃぐちゃのテンションで関わる相手は限定した。それは普段の私生活の延長のようなものでもあり、基本的にはひとりの女性。そして数人の医療者。誰かれ構わず弱さ全開でダダ漏れにするのは良くない。そういうことをしていると、それこそが自分だって勘違いをしやすくなる。ダダ漏れにする相手は限定する。そしてその相手は共依存しない相手が良い。弱さを見せてくれてありがとう私あなたのために頑張るわ!なんていうタイプはダメ。抜けられなくなる。あくまで自分は自分を律して立つことを良しとすることを前提に、座った時には支えてくれる、そういう相手がいい。

 

③choose to whom I show everything

Its also important to choose the ones who you want to show everything. When you are not ok, its important to talk to people, but its not good to show “weak you” to everybody. By doing so, that weak you will become yourself and once it becomes your identity, it is hard to release it. For me, I showed everything to one important lady who is always by myside, and some medical professionals.

 

こうやって、これから検査結果、確定診断を待ってオペ日程決めて術式決めてオペ前の検査して入院してオペ受けて退院して、仕事と実習休む許可もらって保険関係の電話もして書類集めて、入院中に犬のご飯あげる人いること確認して、ってやることいっぱいあって。医療者的な知識で考えると別にそう心配しないといけないこともあまりなかったのだけど、当事者ってのはいろんな可能性を考えるもの。知識があっても、考えるもの。だから支えのベースは整えておくに越したことはない。私は上手にそれをやった。

 

このがんの罹患率は100万分の1〜5人と大学の皮膚科の専門書に書いてあった。そんな数字に当たった後は、どんな数字も意味を持たなくなった。例えば、「99%大丈夫」と言われても、100万分の1〜5の後では、100分の1に当たることなんて普通って感じ。要は、100万分の1〜5でも、私は100万人もいないわけで、ひとりしかいないわけなので、結局患者にとってはどんな病も1分の1でしかない。

 

 

④主治医と話す

オペ前夜、主治医に頼んで面談をした。

忙しい仕事の後に時間とってくれて、もう21時をまわっていた。内容で大事なこと、思い出せること、列挙する。

 

オペを明日受けるか迷っている。

私は、先生を信頼していない、信頼していない人に手術された傷跡は、見るたびに私を嫌な気持ちにするだろう。信頼があれば、傷跡も良い思い出にすら思えるだろう。

全てが勝手に決められていっている気がする。私の話なのに私は置いてきぼりに感じている。

先生は私がオペを受けて回復して卒業して医者になって5年後寛解して医者やってるという未来を想像しているだろうし、それを元に治療を決めているけど、そこで先生がイメージしてる私って別に私っていう個人じゃないですよね。誰でもないですよね。

私はそのどこにもいない。だって、あなたは私を知らない。

私は私から逃げることができない。患者は疾患から、患者自身から、逃げることができない。特に寛解まで5年通うのだし、主治医というのは、その逃げることができない患者自身から共に逃げずに、共に生きてくれる人ではないか。私は医者とはそういうものだと思って医学生をやっている。

私は自分で決めなければいけない。

私がこういう気持ちだということを伝えるべきだと思ったから伝えた。

先生はこういう話を聞きたいタイプの医者ですか?

 

④Talk to the doctor

A night before my operation, I asked my doctor who was going to perform a surgery, to talk with me. I said

I am not sure if I should go for it. I am not being able to trust you, I think when I see the scar on my belly, if it was done by someone who I don’t really trust, I feel bluer looking at it. But  for example, if it was done by my loved one, malformed belly might even become a funny memory and I might smile looking at it.

I feel everything has been decided leaving me behind. Its my story but I am being left.

You must be imaging my future, taking a surgery tomorrow, graduating the medical school then becoming a doctor, maybe nothing happens until 5 years remission, and for that future, you decided the treatment plan for me, you say it is for me. But the “me” you say, you imagine , is it really “me”? I feel its nobody, it is not Miyu but nobody because you don’t know me.

Patients cannot run away from their condition or themselves, I see “doctor” as someone who also never run away from the patients no matter what happens, I see "doctor" as someone who live with the patients. I am a medical student, and that’s what doctor means to me.

I thought I should make my own decision. I thought I should tell you my thoughts.

Are you a doctor who wants to listen?

 

 

⑤自己決定

主治医の返答は大事ではない。

大事なのは、私はこういう時間を取ってからオペに臨んだということ。

「自律」自分で決める、ということ。

それをここで行うことに成功したと思う。治療の選択は一つしかないという体で全てが始まって流れるがままにお腹が切られようとしている中で、割と急に衝動的に、嫌だー、これじゃだめだ!ってなった。それは私が「全人的医療」とは何かとか「患者の自己決定権の尊重」とかそういう話題に触れてきたせいもあるだろうし、身近に、共に生きてくれる医療者がいるし、共に生きようとして患者と向き合う医療者も見てきているからだろう。もやもやしたものを抱えたままでお腹切られるなんて、あってはならないと思った。

オペ3日後に、再出血による緊急再手術になるのだけど、その時に、オペ前に主治医と話しておいてよかった、自分で決めたオペでよかったと本当に思った。だって2回目の時は貧血だったしリアルに具合が悪くて、要はオペ受けたせいで血が出てて再手術になってるわけだったので、自分で決めてなかったらもう気持ちのやり場もなかったんじゃないかなあと思う。治療ってなんでもリスクがつきものなので、緊急性があって自分でゆっくり考えてる場合じゃない(私の2回目みたいに)時をのぞいては、しっかり考えて自分で決めたほうがいい。そうじゃないと、思いもよらないことになった時に、しんどくなると思う。病院では、思いもよらないことなんて毎日起きていることを私は知っている。医療者は知っている。知らない患者は、置いてきぼりをくらう。会話は、大事。

 

⑤self-determination

That 45 minutes talk with my doctor was important for me.  The doctor’s response isn’t important. The important is that I decided about me going for operation, choosing him as my surgent, by myself.

3 days after the surgery, I was in the operation theater again, it was an emergent operation due to re-bleeding and blood loss. That time, I had no time to think, I was awake but it was really sudden for everybody, I literally had no choice. So, it was really important for me that I had made my decision myself for the first surgery. If It wasn’t so, I think I had regretted or panicked for a long time due to the second operation. I could stand it because it was a result of a thing I decided myself. When something unexpected happens, you may not know how to accept, digest, understand, and such if you are outsider of your own treatment. And I know at hospital. Happening of unexpected things can be very much expected.

 

 

⑥得られるまで支援を求める

病棟の廊下に「がんの緩和ケアは診断された時から始まっています。ご相談ください。」みたいなポスターが貼ってあった。私は術後にお腹も痛いし貧血だし、再手術は怖かったからトラウマっぽかったし、私の心も緩和されたい!と思ったので相談してみたら、対象外っぽかった。うーん、緩和ケアチームに繋いでるのはもっとステージの進んだ人たちで……と。(あくまで私が入院した病院の話でその決まりは病院により様々です。ステージIのがんの告知から緩和ケアが介入する病院もあります。)言ってることはわかるが、ええええーって思った。そして、「緩和ケアチームに繋いでもらえませんか」とオペ無事成功して帰るだけの私が言っている、この言葉の裏の気持ち(なんかしらしんどいのかなって)を考えてくれたのは看護師さんたちだった。

 

細井先生が言ってた。がんのいろんな治療をしてきて最期ホスピスに来た患者さん、おそらく後1週間くらいで亡くなる方が聞いてきた。

「先生、私は治りますか?」

その言葉は、YES or NO が欲しくて出たわけじゃない。

その言葉の裏にある気持ちはなんなのか細井先生は考える。

「治るかはわからない。でも最期までしっかりと診ます。」その言葉で患者さんは、ありがとうございますと先生の手を握ったそう。

 

この話を細井先生に聞いたのは退院後だったのだが、ああ私もそうだと思った。緩和ケアに繋がれる?YES or NOが聞きたかったんじゃない。ねえなんかちょっと不安なんだけど、誰かそれを助けてくれたりしないかなあっていう気持ちだったわけで、NOの理由が聞きたかったんじゃない。

 

ちなみにその時に頼りにしてた看護師さんとは今も仲良し。医療者と患者の関係が終わって、医療者同士の関係に近くなった今は色々医療者としての相談にものってくれる。

患者さんって患者さんになった瞬間に、なんか当たり前にやってたことできなくなって、あれもだめこれもだめって思ってしまって自分自身でいられなくなるんだと思う、だからその人を人として見て、その人から学べるところを探して、人として向き合ってると言っていた。

入院中、別に特別何をしてもらったわけでも相談したわけでもなかったんだが、彼女のそういうスタンスは私には何も言わなくても透けて見えていた。だから信頼していた。

 

病院で緩和ケアにつないでくれないなら、と思って細井先生に連絡とって、がん患者の会とかないですか?と聞いてみたら講演会に誘われてその後もご縁が続いている。精神疾患を患う医師が書いた、「しんどい時の自分の守り方」という本に、周りに助けを求めてみて。ひとり目には拒絶されるかもしれないけど、5人くらい求めれば誰か助けてくれる、みたいなことが書いてあった。

 

こういうのは、ハマるかどうか、なんだと思う。緩和ケアは無理だよって私に言った医者だって全然悪い人でもなんでもなく、彼こそを必要とする患者も瞬間も必ず居る/ある。ただそれが私に、私のその瞬間に、ハマるのかどうか。全ての人にとっての救世主なんていない、というかそれは神の領域になる。ああー不安だなとかなんかうまくいかないなって思ったら、支援を探してみたらいい。特に病院、特に難病やがん、の患者は助けて!って言っていいですよって感じもあるし、心の緩和ケア大事ですって医療のテーマになってるくらいなので、是非求めたらいい。それは患者としての権利だ。でも、うまくハマらなくてもすねない。私はすねたけど。笑

 

⑥look for supports until you get it

It is patients’ right to look for support. If you ask for support, maybe the first person says no. But try 5 times at least. Someone will support you.

 

 

⑦人のためになる

スピリチュアルな健康とは、私は生きていてもいいのだという根底からの自信、のようなものだとヨーガ療法で習った。私は生きていてもいいのだ、私は愛しまれるべき存在なのだ、そういう感覚を何をもって得やすいかは人による。私は奉仕が趣味なんだと思う。前のブログで書いたように、人が楽になるために生きる、それを実践できると自分が楽になっていく。災害復興支援とかでもそうだが、人にしてもらってるばかりだと心が病みやすくなる。

 

もしもあなたが動けなくても、話せなくても、あなたは必要とされている。それを知ることは、あなたを健康にする。

 

⑦Do something for others

Humans cannot live healthy when only being supported by others. We all want to be supported and want to support. There is ways a way. Even if you cannot move at all, even if you cannot speak,  you are needed, and experience of realizing you are needed make you well.

 

 

結構うまく患者さんを出来たよなあと思っている。こんなに気をつけてても、色んな衝動やストレスがあったし、その都度消化してもしきれなかったものもあったし、それはそれで大事に持って生きていけばいいのだと思う。

私が健やかなのは、私が上手に患者さんを出来ているからだと思うから、誰かの参考になるといいなと思うし、思うこと有ればまた教えてほしい。

 

I did pretty well as a petient. I think I'm healthy now because I did it pretty well. I had lots of knowledge and I was thinking a lot, I always knew who to talk to and what to do, but even so, there were moments that I was stressed and it came out of somewhere unexpected. 
I'm happy if my story gives you some lights and I'm looking forward to listening to your stories too.