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もっと楽になれそうな生活の中でキツキツにわざわざ生きる日本の人と、みためキツそうな生活の中でまあいいかって言って脱出口も探さずに愚痴りながら気楽に生きるブルキナファソの人

村に泊まりに行って、期待以上に学びが多かった。2週間前からディエブグでも友人宅に泊まり込んでいるが、生活を共にしてみて初めて知る当たり前のことが沢山ある。様々な水準の衛生観念、習慣、そこにある理由、それらを外から眺めただけで体感してもいないのに、衛生啓発を掲げた企画を進めてきた自分が恥ずかしい。これではろくな調査もせずにニーズを取り違えて被災地に余計なものを送って困らせるアホと変わらない。

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別の大陸から来た外国人の私などは、体感しないとわからないことだらけだ。それとも足りないのは私の想像力か。いや、人間に想像力があったら、自殺も貧困もきっとずっと減る。今のブルキナファソの人たちは、お金持ちだってみんなほとんどの人が貧しさを知っている。だから私みたいなわけのわかっていない人に、自分の知ってる村の貧しさの話をする。自国の貧困を気にかけている。話してくれるから、私達もこうして見に行って、少し知れる。私の母が貧しさを知っているから当たり前に募金してたりするのと同じか。私は、知らない。これからの世代はきっともっと沢山の人が知らない。国の経済が崩壊する割と近いかもしれない未来まで。

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食べるために働く、生きるために働く、割とほとんど自給自足。ブルキナファソは農家だらけだし。自然な生命サイクルと近くの仲間意識の中で貧しくも別に普通にあっけらかんと生きて死んでいくシンプルな彼らと共にあると、あらためて、日本は何かおかしいんじゃないかとどうしても思ってしまう。大事なものは何なのか、元々は何だったんだろうかと思ってしまう。 

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貧しくて働いてでも貧しいのはキツイ。貧しくてでも働かなくて当然貧しくてってのも、同じように当人はキツイ。でもなんというか、キツイ理由も嬉しい理由もシンプルで、二重三重になってないから何かを見失って妙なことにはなってないんじゃないだろうか。そういう問題じゃないのかな。

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なんかこう、ここの人といて、考える前にあきらめんなよと思うこと多いんだが、あきらめてるってより本質的にどっちでもいいとわかってるのかもとか思ったりする。何があってもどうなってもどうにかなるさ、生きててよかったね、っていう感覚、それは自身と境遇に対する受け入れで。どうにもならないことばかりの中でどうにかなって生きてきちゃうのって、その後必死で頑張ってみたりとかしなくなるかもしれないけどそれが逆に良いのかも。

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日本で行き場がないと感じてる人も、まあいいか別に、てゆーかこれどうにもなんないわって本質的に気づいたら、もっとラクになるんじゃないのかなと。

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貧困は確かにあるし、みんな確かに困ってる。人もたくさん死ぬし。でもやはり、シンプル。貧しい人たちに支援を!っていうその支援は確かにみんな求めてはいるが、なんかもらえるもんだと思ってしまっている。日本の人だってはい、10万円ってもらえるならほとんどみんなもらうだろうし、で、使っちゃって、またくれないかなって思う、そんな感じ。ブルキナファソは日本を必要としてないけど、日本はブルキナファソを必要としてるかも。

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で、私自身は面倒な人間で、だからこうしてあーだこーだどうでもいいことを言葉にして理解した気になりたがるんだけども。