ネガティブケイパビリティ

医師国家試験に合格しました。
医療というジャンルの中には、興味のあることがたくさん詰まっているのだけど、日本だからかもしれないけど、苦手なことや押し付けられたくない思想も溢れていて、めっちゃ疲れたし、産まれ直したように成長もしたなと思う5年半(1年の休学含めて)でした。

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来月からは北海道札幌市手稲区にある、手稲渓仁会(ていねけいじんかい)病院で2年間の初期研修をすることになっています。俗に言う、研修医というやつです。色々病院を見に行ってこの病院を第一志望に選んだ理由が、生きやすそうだから。多様性を受け入れようという意志がある病院、人間って以外と医療界に少ないんですが、そういう雰囲気があったからここにしました。
ハルさんが小樽にいるし、踊りの世界にもまた入って行けたら良いなという想いもあり、楽しみです。

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専攻はどうするの?とよく聞かれますが、今の制度では基本的には研修医2年間を終えないことにはそこまで行けなくて、まずは1ヶ月単位とかでとりあえずいろんな科を2年間まわらないといけません。その先の方向性としては、色々考えているけど、アフリカで医療ができたらいいなと思う反面、日本では小児発達とがんと緩和ケアに興味を持っていて、どれもってなると何科なんだろうなあ〜。と考え中。最終的には家庭医なのかなとも思いますが、しんどさを抱えて生きる日々がある時にそのしんどさが軽くなる手伝いがしたいなとざっくりですがしっかりと思っています。

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新たな門出となり、20代後半まで医者になることを想像したことがほぼなかった私としては、医者か〜マジかよ大丈夫か?って普通に思います。笑

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高校時代から、毎日が大変すぎて、人生が長く続くイメージは持てませんでした。ブルキナファソで生活して、そして2年前には皮膚がんを見つけて治療を受けましたが、その2つの経験から、自分の死を以前に増してより近い未来に感じていました。自分の生きていく未来もあまり信じていなかったです。でも、それは、突然のいざという時、例えばブルキナファソ時代にクーデターが起きたから突然に無期限外出禁止を言い渡されたり(大体3、4週間で明けました)、2年前に突然悪性だったから〜とがん告知されたり、次のそういう時に焦らないように、いやいやそもそもそんな生きるって思ってないんで大丈夫ですという予防線を張っておきたくて身につけた、逃げ気味の死生観だったように思います。

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だけど今はもう一段階強くなって、全然予想してない、衝撃的で例えば最悪な未来が降ってきてもまあその時対応するっしょ別に。って思えてるので、すぐ死ぬんじゃないの?と思って生きるのをやめることができました。生きていれば色々あるけど、何が起きても都度受け止め、悩み、生きていくしかないし、そうしようと思っています。

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そういう心持ちになれたのは、よくわかんない状態を許容することができるようになってきたからだと思います。滋賀県で出会った緩和ケア医で私の師となった女性がいます。彼女に指摘された様々なことの中で最も私にしっくりきたのが、ネガティブケイパビリティの欠如でした。よくわかんない状態に身を置いておくことが、ずっと苦手でした。白黒つけたい、みたいなことなのかもしれないけど、なんかうまくいってない感じが許せない。でも生きるってそんな白黒綺麗につくようなことではないなってやっと納得しました。よくわかんないこととか、あんまり嬉しくない状態でいるだとか、まあそういうことも含めての日常で、その日々の継続の中で勝手に変化していくものもあって、それで生きてても別に大丈夫なのだという感覚になってきました。

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突然の変化や制限がとても苦手なことは変わっていないのだけど、打撃を受けていてもまあそれもそんなもんだと思えるようになってきたということかな。例えるなら、パニックにはなるけど、パニックになっている自身にパニックになって引きずったりはしないという感じです。

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5年半暮らした滋賀県は、本籍をそこに移したくらい愛着を持てました。親元を離れて暮らした初めての日本の地だったせいかもしれませんが、色んな課題が浮き彫りになって、長い時間悩んでいたような感じもありました。

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滋賀県で一緒に過ごしてくれたみんなありがとう。

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滋賀→新潟港→小樽港→札幌の手稲

に3日間かけて、犬2匹連れて引っ越してきました。出発の1週間前にドラムちゃん(昨年11月からうちの子になった元保護犬チワワ)が突然体調崩してご飯食べなくなって、結構ドタバタでしたが、ドラちゃんもお薬飲んで(継続中)回復してみんなで来れました。船酔いの薬を犬にしか用意してなくて、犬は元気だったけど人間は吐いてましたが、無事に着きました。江戸時代の上洛を終えたくらい遠かった気分。

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今日から新生活、札幌です。

空いてる部屋あるので遊びにきてね。

 

 

女性とのお見合い/ matching agency for same sex lover

私は色んなマイノリティに属してると思う。マイノリティイコール弱者だとは思ってないけど、そこはやっぱり繋がっていきやすくもある。環境因子によって自己肯定感が下がりやすい種類のマイノリティはそのまま弱者になりやすかったりする。

 

I think I belong to several different minorities. It doesn't necessarily mean that I'm socially vulnerable, but it often connects self to the vulnerability especially when the one is in the environment where one's self-esteem can be easily harmed because of the fact that he/she "isnt normal."

 

最近、同性のパートナーを紹介してくれる相談所に登録した。リザライという会社で、東京と大阪にある。現地に行ってコンシェルジュと面談して、お金を払って、毎月ひとりの女性を紹介してもらう、ゆっくり進む同性の結婚相談所のような感じかな?

 

Very recently I registered myself to the matching agency where introduces you to other same sex lover clients. It's kind of like a mariage counseling for LGBTQ. When I came back to Japan 6, 7 years ago, yet such agency hadn't existed in this country, but now, it's rapidly developing and I am trying to change too.

 

お見合いをしてると、自分を客観視する機会が増える。自分と似たような嗜好を持つ性的マイノリティは、実は生きてきた境遇も似ていたりする。それだけでも、あなたはそれで良いのだよ、私もこれで良いのだよ、の気持ちが強くなる。

 

meeting other girls who have the same kind of love preference makes me realize that I'm not the only one, in many ways. They might have the tendency to experience similar sort of life problems. These meetings strengthen my feeling of we are good as we are.

 

医者の勉強を始めて、本気で患者との対話を試みる医師の先輩にも数人出会い、そこでの気づきを大事にしながらヨガ療法でカウンセリングを通して他者の話を聴いていたりすると、またそこでも自分を客観視することになる。色んな人がいるし、マイノリティだマイノリティだと自己意識が強かった自分は、ただの、ひとりの人なんだなと気づく。それぞれが多数のマイノリティにより構成されていて、その中で社会的言説として目立つテーマのマイノリティもあって、私はそれを多めに持ってるだけ。そして最終的に私のそれらを特別視することにしたのは社会ではなくて、私自身だと、気づく。


On the path for becoming a doctor, I learned from some doctors who really try to hear the words of patients. Keeping the findings from them in my mind, I've been trying to hear the real words of clients through Yoga therapy (I'm also learning to become a Yoga Therapist), again there I come to look objectively at myself. I realize that I was very much putting attention at the fact that I am a minority, but it is just everybody, each of us is consisted of many minorities and some stand out in the social discourse and many of mines as well, but at the end it is myself who decided to make a value and let them stand out. I realized that I'm just one of everyone and we all live. 

私はとても集中しがちな人だと思う。

その集中が自分に向いてると、失敗する。大抵そういう時は負のループに陥ってぐるぐるぐるぐる悩んでいる。

この人が今より楽になるには何が必要だろうかとかそういうことに集中してる時は、いい感じに生きてると思う。

そっちを増やしていこうと思う。

 

when I'm focused on myself, I'm not in a good cycle. I'm better living when I'm focused on the happiness of the people in front of me. Better when I'm Thinking about "what is needed for this person to be eased?" like questions. I'd rather spend my time for that.

 

ずっと女の人が好きだった。

でも男の人を好きになったことも少しはあって、これがバイセクシュアルという言葉で表現されるのかと言われるとどうもしっくりこないので、ほとんどレズビアンのバイセクシュアルで性自認は男ではないけどクエスチョニングですという、なんかよくわかんない、感じになるけど、まあそんなもんだ。

 

Ive been loving women always. 
but some few times I came to like men. I can't really fit myself fully to the word such as bi-sexual. I am a bi-sexual who is more like lesbian and I am not a man but don't know what I am. Maybe something like that.

 

積極的に彼女づくりのために動かなかったせいでいつも異性愛者の女性ばかり好きになってた。その相手ひとりひとりとも密な掛け替えのない関係ができてたし、十分だこれでいいと思ってた。


ive never actively made an action to meet same sex lovers so I always came to like females who are heterosexual. I always made deep unique relationships with each of them, I was thinking it is enough and I'm good like this.

 

だけど自分を労る方法とか教えてくれた人がいて、果てに、気づいた。私も愛されたいと。そんで考えたら、今までこれでいいと思ってたのは、もしも本気で女性の相手を探したら、見つからなかった時に、自分が愛されることがないということを認めなければならなくなる気がしてた、ということ。いやいや私だって愛される可能性ちゃんとあるでしょうよとやっと思えて、相談所に登録した。


But for the past one year I was taught how to be kind to myself. Then I realized, that I want to be loved. I realized that the reason why I've thought it's ok like this without being loved is my feeling or trauma that if I start to try to find a lesbian partner, when I can't find any, finally I will know that nobody loves me on this earth. but it is insane believing that I will never be loved. Of cause I also do have the possibilities to be loved as everyone does. When I could believe in that, I registered myself to the agency, to find someone who I love and who can love me. 

色々やってきたけど、自分にとってやり易いことばっかりやってきたと思う。本当に大事なことにはまだ向き合って進むことがあんまりできていなくて、だからまだ生きててよかったんだなと思う。やること多分いっぱいあるなあと。

 

I've done many things in life. But I think I've only done things that were easier for me to do. I left most of the things really important without a touch. And that is why it's good that I'm alive. That I still have so much to do in my life.

 

お見合いは第一歩。

Meeting people through agency is a first step.

これ書いてることも、第一歩。

Writing this is also a first step.

最初の一歩はおそらくいっぱいあるけど、ゆっくり色々踏み出していこうと思う。

Many many first step is there but slowly I would like to start.

多分そっちのが、楽しいから。

Because then it's more fun.

 

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楽しいの塊:いぬとの生活

 

追記

ここ1年くらいブログで色んなカミングアウトをしているような感じになってるけど、自分に嘘つかないで生きることが今の自分のテーマの一つなんだろうと思う。社会という場所で生きにくさを抱えやすい人は絶対いると思うんだけど、自分の色んなことを認めて発信していくことで、自分も誰かも少し楽になる、みたいなことがあるといいなとも思って書いてる。

向かう場所

ヨガ療法士に、例えばホスピスで、死をストンと受け入れることができたとしたら、それで終わりですか?

と聞かれて、頭が止まった。

やりたいことがあれば、やれるようにしたいとは思う。例えば最期は家でとか決めたなら、それが叶うようにとは思う。けど…。

と返した。

ホスピスの人も、私もみゆさんも、ひとつの場所に向かって死ぬまで生きていくだけじゃないですか?

そんなニュアンスのことを彼女は言った。

その後、ホスピスの医師に、質問してみた。

死をストンと受け入れたら、それでおしまいですか?

そこからまた苦しみが始まるよ。

と医師は言った。

 

ちょっと衝撃的な答えだった。

え、そうなの!?って返事したと思う。

死への受容のお手伝いが出来たらいいと漠然と思っていた。でも私自身がしっかりそこに到達していないのなら、そりゃあその先のことはわかってないわなと、おそらくそこにかなり到達してるであろう身近な仙人級の人々2名と話して、再認識した。

 

私が向かうのはどこだろう。

向かいたい場所と向かってる場所と向かうべき場所と、合ってるだろうか。

変わらないひとつのその場所はきっとずっと変わっていないのに、それを酷く変動的に捉えてしまっている私の目線自体が、苦しみの根源となるんだろうか。

 

がん告知を受けてから人生が変わった、という話を昨日聞いたが、その話は肯定的な変化についてだったんだが、そこで修正されたのは、その変わらない場所への認知だろうか。

 

昔々、好きな人に対して駆け引きみたいな会話をしようとしていたら、「I'm not your toy!」とキレられたことがある。それに近いことを、人生においてずっとやっているような気がする。本当に行く先を誤魔化して、目先の虚像に翻弄されることで誤魔化して、愚痴を言って凌いでいるだけなんじゃないか。

 

だけどそのタイミング、変わらない場所への認知の修正とそれにより生じる心地よいばかりでは決してない変化は、人に強制できるものではないし、自分の意思だけではおそらく決めることは難しいのだと思う。

それは医師という職に就いても同じ。みんながそこに達するわけではない。全然、ない。

 

今日は、ここまで。

これ以上書くと嘘が出てきそうなのと

卒試の勉強した方がいいのと

@コメダ珈琲大津京店

 

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面白み

わかんない人にはよくわかんないかもしれないことを全然わかりやすくもない文章でバーっと書きます。

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昔、親友に、君とかボブマーリーとかは絶望してて、そんでもってそれがベースだからすごく優しい、君が頭良かったからでも突飛だったからでもなくて君が一番優しかったから君と一緒にいた、みたいなことをメールでもらったことがある。その時私は抑うつ状態で、ああもうしんどいしんどいっていう日々だったので、なんかめっちゃ泣いた。でもその時は何を言われてんのかよくわかんなくて、だけど最近ちょっとわかってきたのかも。

 

くだらないことがしたいとずっと思ってた。そんなことして何になるの?意味あんの?とか言われちゃうかもしれないようなこと、で、面白みのあること。舞台やってて実際それ言われたこともある。あはは、だよねー、意味なんかないよ、求めてないよって感じだった。

 

多分、究極は、希望が欲しい。

結構しんどいじゃん。

しんどいことってあるじゃん。

しんどい日々って大抵の人には訪れるじゃん。

大事な人を亡くすこともきっとあるし、自分の死を実感することもあるし、当たり前に、あるじゃない、だって全員、死ぬから。

絶望の一般化のために例に出しただけで、死が絶望と同義だとは私自身は思ってないよ。どっちかっていったら多分そこに希望のがみてた。

今はどっちでもない。

 

今私が病んでるとかそういう話ではなくて、改めて、確かに自分は割と絶望がベースのところで生きてるなと思う。別に悪いことじゃないよ。ただ、そういう人なんだと思う。「実存的うつ」って本読んでて出てきたんだけど、ああこれわかるなと。なんか結局全部救われないじゃん、みたいになりがち。自分がそういう人なことはいいのそれで。そこであらがってると一生しんどい。

 

だから、希望が必要

面白みが必要なんだろうね

 

わかりやすく必要不可欠そうな偉そうな顔した何かよりも
何のためにも誰のためにもならなそうで面白みのある何か
そういうものが必要で

ユーモアということなのかな
だって絶望だけしながら生きていけないよね

うわまじ最悪
みたいなことに面白みをどのアングルでもいいから見出せたらいいじゃん

ポジティブにとかそういう話では全然なくてね

絶望は絶望でいいのよ

でもそこで生きていかないとってなったらどうする?みんなどうしてる?絶望したことないですって人もいるんかもしれんけど、あんまりいないよね

 

病院ってさ

結構そういう、どうにもならない、その個人にとってはマジ最悪なことがゴロゴロしてると思うんだよね

悪いことしか言われないから病院にはいきませんって言う人もいるしね

 

逃げられないじゃない

病気ですと言われ

それが一生物の時もあるよね

しんどいのが、えー!これからずっとしんどいのかよ!ってことだってよくあるよね

さあどうする

生きていくの、大変だよね

 

みたいなそういうのに蓋しないでずっと生きてる、生きていきたいと思っている、気がするの

だから絶望がベースなんかな

 

意味のあることばかりが求められる

価値があるとか言われちゃってる社会の中で

例えば病気になってそれ全然社会にとっても自分にとっても意味も価値もないよただしんどいんだけどってなったらどうするよ

 

アフリカいるとさ意味ないことって多分ほとんど全てがそうだなって気がしてくるのね

だから絶望的な出来事への受け入れがすんなりなんじゃないかな

本当は意味ないことの方が真実に近いよ多分

 

だからさ

しんどくなったら

毎日を生き抜くのに必要なことって何でしょうね

って思うとね

小さな笑いとか

やっぱ、なんか役に立たなそうな何か

ユーモア

多分、その絶望的な物事をユーモラスに表現してしまうような皮肉のような面白みとか

ある種の開き直りかな

そういうのがないと

生きていけないかもなと思うのよね

 

そういうのがさ欠けてんのかな西洋医学って

 

って思って

 

今一気に考えてるきっかけは

躁鬱の天才アーティストの坂口恭平のブログ「躁鬱大学」

https://note.com/kyoheisakaguchi/m/m17c5c94dfa47

読んで、

そこから精神科医の神田橋の説き語り躁鬱病に飛んだら面白くて

https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf

 

例えばさ統合失調症は1/100人なるんだよ。

「治る」って感じでもないよね。

それならさなんかもっと、それを面白がって、自分も周りも面白みを見つけてさ、「病気」とか「しんどさ」が自分自身と直結すると感じる時ってさ、病気やしんどさを面白がれないと自己肯定できないし、余計しんどいと思うんだよね。

 

今の自分で今のままでそれでいいのだ

生きていてもいいのだ

って

明日死ぬとしても言えたらいいなと思う

ってのはつい先日某病院の面接で緩和について聞かれて口走ったことなんだが

 

そう

病気を否定ばっかしてたら自己肯定はできないよね

自分に絡んでくるもんはあんま否定しない方がいい

ヨガみたいにさ

それはあなたではないですから切り離しましょう

手放しましょう

ってできたら多分とてもいいんだけど

すぐには難しいこともいっぱいあるじゃんね

 

だからとりあえず

手放せなかったら面白がったり

なんかこの自分かっこいいやんと思ったり

うーん

うまく言えん

 

そういうのがあってさ

今日をまた生きていけたら、もうそれってそれだけでめっちゃ良いじゃん

 

価値のあること

生産性のあること

そういうのがいいって思ってやってたら

価値も生産性もない自分に誰でも生きてりゃなるかもしれないわけだけどさ

そうなった時に自己肯定感下がるよね

だから意味ないことって自分自身とか

人間そのものともっと近いと思う

そういうの愛せると、生きてていいってなるかもしれん

 

何でアーティストやってたのか

アートが真実だって確信してたのか

やっと何となく、なるほどと思う

ヨーガ療法と私について

私がヨーガ療法に出会ったのは、今からちょうど3年ほど前、2020年の夏頃だったと思う。恋愛のゴタゴタとか色んなものへの不適応とかでごっちゃごちゃになっていた時に、精神科医に勧められたのが滋賀県にいるヨーガ療法士のY先生がやっているヨーガ療法教室だった。

 

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私は結構、助けて欲しい時に、助けてくれと言うタイプだと思う。私が惚れる女性は大概がめっちゃ優しい頭のいい人なこともあり、昔からいつも、すっごく助けてくれる人、に巡り合ってきてる。だけど、欠点もあって、それは相手に依存しがちになってしまうということだった。

 

ヨーガ療法のすごいところは、助けてくれるのはヨーガ療法士ではなくて、自分自身だという点だ。ヨーガ療法士に導かれ、自ら悟りを開いていく自分自身が、自分を救ったりする。自身の内にある救いは、とても使いやすいし、それになんとなく気づいていると、刺激に翻弄されにくくなる。(私はまだまだ思いっきり翻弄されているが、目指すのはそういうこと)

 

Y先生とのセッションは、いつも不思議な安心感があった。でもそれは、彼女そのものの人間力とかによるものというよりは、私の、というか人間の普遍的苦しみの原因を知っているが故の、解き放たれるまでの道への確固たる自信を持ったガイダンスのようなものだったと思う。

 

(思えば、ブルキナファソで出会った日本人看護師からも似たものを感じて、それで私は医療という領域に興味を持ったのだった。)

 

ヨーガ療法士を目指し始めたのは2020年の12月、まずはYTCという、ヨーガ療法士育成講座の前期を1年間強かけて(早い人は半年で終わる)オンライン受講した。この講座は、自分自身が楽になることを知るためのものだとY先生は言っていた。実際、ひとりで動画を見て呼吸したり瞑想したりするのを不真面目ながらも繰り返すうち、自分の中にずっとあった、自己否定の呪いのようなものが、ほとんど完全に自分の妄想であったことに、ふと気づいたりした。

 

気づいただけでは抜けられなかったのだけど、昨年出会った、私のメンターとなった緩和医の導きによって、実生活での行動変容に繋げていくことにも成功した。

 

2022年6月からは、YTICというヨーガ療法士育成後期講座を取っている。この講座はいよいよ、ヨーガ療法士としてクライアントにどうやってカウンセリングをするのかとか、見立てをするのかとか、そういうことをメインに教えてくれる。月1回のズームでの会合と、ネット上に上がる動画をみたりレポートを出したりしながら今1年経った。

 

いよいよ終盤に近づいてきてて、先月から10人のクライエントに対してヨーガ療法を行ない、最低3ヶ月間経過をみて卒業論文に記載する、というフェーズにきている。Y先生には、自分のできることの範囲以上でも以下でもない、ということを知っておくことが大事だと助言をいただいた。気負いすぎて、いいことは、お互いにとって起きないだろう。多分、自分が何者でもないことを知っているということは、人の話を聴いて導いたり紐解いたりする職業の人には、大事なことだと思う。何者かになりたくなってしまう時、なんか余計なことをしたりするのかもしれない。

 

クライアント集めは、ヨーガ療法の人々に紹介してもらったりもできたと思うんだけど、とりあえずFacebookで募集してみたら、ありがたいことに、2日間で集まった。未熟な私の未熟なヨーガ療法に付き合ってくれてありがとう。それでもヨーガの呼吸と緊張と弛緩はしっかり心と身体を緩めてくれるので、人々に伝えることができて、みんながヨーガの力で自然と緩んでいくのを見てるのは、嬉しい。

 

私がY先生に教わって、思考と停止と実践と振り返りを繰り返しているのが、「執着を手離す」ということ。そうなるまでにどれだけのステップがあるのかは人と案件によるんだけど、そうなって仕舞えば、何が起きても大丈夫なんだよということをY先生が知っててくれたこと自体が心強かったと思う。そういう風に、私もヨーガ療法のセッションができるといいなと思う。

 

広い意味での緩和に携わりたくて医師になろうとしているのだけど、ヨーガ療法は私にとっての数ある緩和の手法のうちの絶対的なひとつかなあと思う。

 

一旦ここまで。またそのうちに。

 

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発達障害当事者研究

文部科学省は2022年12月、全国の公立小中学校の通常学級に通う児童生徒の8.8%に発達障害の可能性があるとの調査結果を発表した。このうち4割強は、授業中に丁寧な指導を受けられるようにする配慮・支援を受けていなかった。(朝日新聞の記事より引用)

 

質問①8.8%って聞いて、どういう印象?思ったより多い?少ない?そんなもんかなって感じ?

質問②4割強は配慮・支援を受けていないのは、受ける必要がないからって思った?全員受ける必要があるに違いないのに受けれていなくて遺憾だって思った?

 

私が発達障害の本を読み始めたのは、医大に入ってからで、基本的にはアスペルガー症候群の本をちょいちょい読んでた。理由は、自分がそうなんじゃないかと思ったから。人にそうやって言うと、えーアスペじゃないよ!アスペの人ってもっとこうでしょ?って結構言ってくれて、多分私を肯定してくれようとして言ってくれてんだけど、そういうのは、なんか、どうにも微妙な気分になる。いや、アスペでも全然良いんだよ、ってのが一つと、私が思う私のアスペっぽさってできるだけ隠してかなきゃいけないのかなー、って気持ちと、アスペの人って言ってもわかりやすいのからわかりにくいのまで色々いんのよ、ってことと。

 

発達障害という言葉を聞くと、『障害』という言葉そのものの持つ印象の強さからか、なんだかはっきりとしたラベルを貼られて定型発達(発達障害ではない一般的な発達の人をいう)から分けられたような衝撃を受けるかもしれないが、発達障害ってそもそも、グラデーションがあるスペクトラムっていうか、簡単にいうと、それっぽさはめっちゃ持ってる人もいればちょっと持ってる人もいて、うーんこれはどっちかなーっていう境界域が結構広くてそこをグレーゾーンと呼んだりする。診断どこでつけるかってのはもういろんな要因で総合的に見て、本人や家族に困りごとが生じているのかどうか、ってのも大事な判断材料でもある。診断つけたら、支援に繋げやすいってのもある。

 

発達障害は、ADHDと自閉症スペクトラム(のなかにアスペルガー症候群が含まれる)があって、それに知的障害(これも境界域が広い)がある人もない人も、学習障害(LDという)がある人もない人もいる。ADHDと自閉症スペクトラムを両方持つ人もいるし、片方の基準のみ満たす人もいる。幼稚園の時はADHD強めだったけど高校になったら自閉症スペクトラムが強めで困ってるかな、とか、変化していくものもあるし、診断が覆ることもある。私自身は、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)的な特性と、ADHDの衝動性と多動が加わって、そこにギフテッドという概念を加えた発達障害もしくはグレーゾーンの未診断の人、って感じに捉えている。多動、って動き回ってる子供をイメージすると思うんだけど、私の場合はそうじゃなくて興味が次々と移り変わって衝動のままに動くので、言うなれば、人生そのものが多動。こういうのって、一つのADHDの在り方かなと思う。別にそうじゃないADHDもたくさんいるけどね。

 

発達障害ってそもそも聞いたことないけどなんやねんって人はよかったら調べてー。ここで私がそれぞれの特性を色々と羅列するのもなんかそれで偏見産みそうな気がして、したくない。

 

まあ、ADHDの診断がついてるAさんとBさんとCさんとDさんがいても、うんうんわかった全員ADHDだからひとクラスにまとめてADHD用のやり方で授業したら良いんでしょ!とかそういう話じゃない。Aさんは薬飲んだら落ち着いたし知的障害もLDもないし通常学級で良いかな、困ってないかよく見てあげよう、Bさんは薬嫌いで飲めないな、集中するのとても大変だな、知的には境界域かな、通常学級通いつつ支援学級と行ったりきたりにしようか、CさんはIQ高くて理解度高いけど好きな科目しかやらないのかまあそれはとりあえずそれで良いかな勉強が遅れてるわけじゃないし、Dさんはどっちかっていうと自閉症スペクトラムが強めだな知的障害はないけどLDで文字の理解しんどいのねそれならパソコンの使用許可してもらって試験は音声で流してもらってタイピングで受けれるようにできないかな、みたいな。もっともっともっともっと、人の数だけ特性はある。だからそれぞれに対して、支援の必要の有無、も含めて、ひとりひとり、検討してあげれば良いし、診断がついていない人、がいるのも、支援自体が必要ないならまあそれもそれかな、と思う。なんのために診断すんのか?って大事なこと。

 

少し脱線するけど、上記の話を元小学校教諭の友人にしていたら、『学校ってやりたくないことだらけなんだけど、それをあーやりたくないだろーなーとか思いながらも、どうしたらこの子やりたくなるかな?って考えてやりたくさせるのが教師の仕事だと思ってたよ』『発達の子だけじゃなくて、定型の子たちもやる気がどうしたら出るかってそれぞれ違って、教師はそれを探って工夫して頑張ってたよ』と言われて、ちょっと惚れ直した。

 

発達障害って割と最近身近に聞かれるようになったテーマだし、それに対して考えたことなんて一度もない人ももちろんいて当たり前だとは思うのだけど、考えたことある皆さんの中で、え、これって自分のことじゃね?ってちょっと思ったことある人いますか?

多分ね、いっぱいいると思うのよ。ピラミッドの一番上が、診断されうる発達障害の人たちだったとして、それでも通常学級の8.8%だったら、診断基準は満たさないけどなんか色々当てはまるし困ってることもあるんだけど!みたいなグレーゾーンの人たちってピラミッドの上から2段目3段目にいるとしたら、いやいやそれってどんだけいるんよ、結構多いなってなるよね。

 

タイトルに戻ると、発達障害当事者研究ってのは、発達障害の当事者が、自身の特性に由来した生きづらさや物の見え方に焦点を当てて研究していくもの。私は昨年、東大で当事者研究をしている綾屋紗月さんの文章を読んで、アスペの人の感覚特性についての記載で、おお!わかる!ってなったのがあったり(全然わからん!ってなったのもいっぱいあるよ)して、やっぱ私アスペじゃーんってなった。そこから色々本を読んだり、医学生なので幸運にもその道の専門家たちとの出会いも重ねることができて、実際に発達障害外来の見学をたくさんさせていただくこともできて、特性由来で困ってたことを相談すると解説してくれる人(解説者)とも出会い、ものすごく良い感じに理解が深まっている途中。

 

私の解説者は緩和のお医者さんなんだが、彼女がずっと言い続けてくれるのが、もっと楽に生きることができるはずだからそれを探そう、できるように練習しよう、失敗しても最後じゃないよ、最後だと思っちゃうのは特性のせい、困った時に自分を卑下して思考停止で終わらせないで考えてみよう、ということ。

18歳の時に自閉症児と遊ぶボランティアに行って、電車の名前を言い続ける男の子に出会った時から、なんか自閉症の子たちって中身は私と似てる気がするってずっと思ってた。私の中身もそうそうそんな感じなんだけど、それをうまく隠して表出はしないでコミュ力高いみたいな顔して生きてんのよねー、みたいな。笑

アスペっぽいよな自分、って気づいてはいたんだけど、自分の日本での生きづらさがそれに由来してるってのは、人に教えてもらうまで気づかなかった。それでね、私の当事者研究においてだけじゃなくて子供たちに関しても「本人が楽に生きるために」診断つける、つけない、支援級入る、入らない、薬使う、使わない、その他色々、していくっていうその目的をぶれさせないことってめちゃくちゃ大事だと思う。本人の意思もしっかり聞きつつね。

 

自分の話を少ししとくと、発達障害の人って感覚過敏がある人が多いんだけど、(発達障害じゃなくても感覚過敏は誰でもあります!特にしんどい環境下ではみんな出やすい)私は掃除機の音と、トイレのヴォーって音が出る水切りと、ドライヤーと、前からも後ろからも声がするのと、突然の電話音と、蛍光灯の光と、最近のテレビの光(昔と何か変わったよね??)と、発泡スチロールの音と感触と、特定の毛布類の感触が、無理かな。家の中は結構暗くしてるし、掃除機は私がいないときにかけてくれるし、ドライヤーは静かなのを買って、最近は外では遮光メガネ使ったり、もする。我慢できないものは発泡スチロールくらいしかないんだけど、我慢してると、ものすごい疲れやすい!ということに最近やっと気づいた。というか誰でも、人がたーくさんいるパーティ会場に行ってエネルギーぐっちゃぐっちゃしてたら多分疲れるよね、なんかそういうのが、ちょっと過敏な感じ。

 

中高と勉強してなかった(することができなかった)のに医大に入れたのは、過集中の特性ゆえにだと思う。もちろん、初等教育をしっかり受けていたことも大きいし、英語がそもそも出来上がってたのも大きいけど、あの集中の仕方はやっぱ異様だったと思う。それができたのは、ネット講義があったから。私の高校時代はまだスマホもなかったし、パソコンなんて身近じゃなかったから、講義って教室でみんなで受けるものだった。集中、できなかったからあんなにやる気なかったんかなーと今になって思う。だから、医大入ろーって思った時にちょうどネット講義とかネットの塾とか流行ってたから、ラッキーだった。一人で、密室で、ネット講義聞いて勉強する、のは永遠にやってられた。あんなに学校行ってなかったのに、勉強してなかったのに、医大受かってる自分って、なんか変じゃない?ってのがきっかけで、発達障害に気づいた。

 

そうそう。医大生は発達障害の傾向を持っている人が多いです。特にアスペのグレーゾーンはそこらじゅうにいるんじゃないかな。でもその中でも基本的にはうまいこと困らずにこれた子たちが受かってるので、アバンギャルドで不安定な若者だった私とはまた全然違う、好青年たちがほとんどでしたけど。

 

ここ2週間、中規模の病院の、小児科の発達障害外来の見学をさせてもらってて、めっちゃこの領域で仕事したくなってきてる。もちろんいろんな医者がいるが、私がいいなあーって思ったのは、子供の支え方が、包括的だったこと。子供の一番そばにいるのは親(家族)とかで、一般に、一番そばにいる人が医者ではないよね。親が不安だと子供も不安。子供が不安定だと親もしんどい。親がしんどいと子供もソワソワガチャガチャわーーーってなったりする。なんかね、私がいいなーって思ったのは、医者が親としっかり繋がってあげてたとこ。

なんか医者って患者から遠くない?って思って医者になんのやめよ、介護士やってこって本気で考えてた時期もあったんだけど、家庭医療の先生が、これから彼女(患者さん)が生きていく中で、人生、生活を大きく揺るがすことが起きるかもしれない、その時に、僕はあなたの話を聞く準備ができてますよ、ってそれを伝えたくて今日の外来をしてる、どこにも持っていけない想いを持って行ってもいい場所が診察室だと思ってる、みたいなこと言った時に感動して号泣して、あー!これいい!医者も寄り添ってるやん!家庭医療やろう!って思ったんだけど、今回付かせてもらった小児発達外来の先生にも、同じものを感じた。

ちゃんと親を見てて、親の話を聞く準備ができてて、親は話していいんだ、この不安、この場所(診察室)に持って行ってもいいんだってわかってて、それは先生の日頃の真摯な向き合いの果てにある信頼とつながりだ、と思った。そういうつながりがそこにあったら、ちゃんと、ぐるんと包括的に、支えてあげられる、かもしれない。いろんなところから子供を支えるいろんな人がいるんだけど、それがちゃんと機能してるかな、って確認して修正して調整して気を配ってあげてる感じだった。子供本人、親、そして学校や行政やいろんなところと繋がって、うんうんこれなら大丈夫かな、やばくなったらちゃんと来てくれるな、あの子はあれが足りないな、もうちょっと近づいてみようか、とか、そういうこと、できる仕事なんじゃないかって、思わせてくれた。あーーー私こういうことがしたくて生きてきたのかもー!って思ってしまった。またこれも大きな衝動。笑 しかし私の衝動は、私をいくべき場所にいつも導いてくれるので、この特性は、ほんと長所。って思っていいんだよって教えてくれたのも、解説者してくれる緩和の先生。

 

よく、虐待を受けて育った人は親になった時にそれを繰り返す、って聞くじゃない?でもそれって全然みんなじゃないの。虐待しちゃう人はみんなじゃない。全然。じゃあ、何が違うのかな?って考えると、やっぱり『つながり』の存在なんじゃないかなあって思うの。発達障害児は定型発達児より、虐待の対象になりやすい。手がかかる子、育てにくい子、ってことも多いから、必然的に、被虐待児になる率は上がる。そう。虐待って親子の相性問題でもある。しっかりと繋がりが形成されてて、医者がそれを確認してあげて、その子と手を繋いでいてくれる大人の存在を確認して、その大人がいっぱいいっぱいにならないように支えを作って、ってそういうふうにしてたら、防げた虐待もあるかもなーって、思う。

虐待とまで行かずとも、親子関係の難しさとか、お家の困りごととか、子供自身も思春期でしんどいなってなった時とかに相談できる信頼できる場所、あるとめっちゃいいよね。

 

大学の発達外来の先生に、当事者研究してもいいよって言ってもらって、とても嬉しかった。当事者研究って学問としては文化人類学っぽいなあと思う。文化人類学も、著者が誰なのか、ってのがめっちゃ大事で、どこで生まれて人種は何で何してきてってのがまず大事で、その私が見たブルキナファソのダガラ族のアニミズム信仰について、とかね、例えば。その先生は、みゆがいいって言ってくれて、ああそういうのって嬉しいなって、思った。変わってるよねーとか昔から言われたけど、アメリカ行ってアフリカ行って4ヶ国語覚えてなんか多文化になりすぎてもういよいよ元々の変わってる部分と環境因子的に変わってった部分とわかんなくなって、その中で、普通のフリしなきゃって思うことも日本にいると私は結構多くて、大体嫌になってすぐ挫折するんだけど、その先生の前では素だったので、そう言ってもらえるのは嬉しいなあと思った。

 

日本、ちょっと生きにくいよ。私の特性は、アメリカでは目立たなかったというか、これのせいで困ることはなかった。アフリカでは多分逆に、長所として使えてた部分が多かった。海外で暮らしてた時は気楽だったので、感覚過敏もあんまり気になってなかったのよね。日本にいると、緊張してんのか、ちゃんとしなきゃって思うみたいで、過敏が増す。これ多分、共感する人結構いるんじゃないかな?

 

当事者研究したいなって思ってるけど、実は診断はついてない。それ専門にしてる精神科医が仲良しの人だったので聞きに行ったら、もう今みゆは文化的に多様すぎて、困難が文化的なことで生じてんのか元来の発達特性なのかとか診断つけんの無理だし、今つける意義もないって言われたのよね。発達障害ってそもそも、脳の使われ方が違うってことなので、異文化の人たちって感じだからね。定型発達の人はこれを見たらこれを連想するけど、発達特性あると違うよね、みたいな感じかな。でもそれって海外で育った人も違うよね、っていう。

だから、ニューヨークみたいに世界中の文化圏から人が集まって尊重し合うのが当たり前の場所だったり、ブルキナ(アフリカ)みたいにみゆはガイジン!全然違う!って過剰とも言えるほど私を別のものと思ってくれてる場所だったり、では、物の見え方がなんか違うね、ってことは当たり前の個性で、是正されるようなもんではなかったのよね。だから別に私も私の周りも、私の特性で困りはしなかった。ちなみに私の母は幼少期、私に育てにくさを感じたことがないらしい。いや、色々あったよ、と思うので、それはそれで母の物の見え方もどうなってるんだか不思議でもあるけど、そんな母親に育てられて、結構ラッキーだったこと多いなーと、思ってもいる。どうもありがとう。

 

発達障害ブログ初回はこんなところで。

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With Missibaou and Sindy 

 

虹の会-ホスピスケア@岐阜

クリスマスは岐阜まで日帰りで「虹の会」というホスピスケアの会に参加してきた。

午前は患者会(患者さんとご家族:10時~12時)、午後は遺族会(悲嘆ケア:13時半~15時半)。

参加資格は①がん患者②がん患者の家族、遺族③医療関係者。

部外者(①〜③に該当しない人)は、どんなに立派な経歴の人でもお断りしています、との代表の小野口裕子氏の言葉に強い信念を感じた。私は①と③の立場を行き来しながら居た感じ。


私の患者会のイメージって、しんどさを話して楽になる、みたいな感じだったから、今別にしんどいわけじゃない私は今日は聴き役なのかなとか(烏滸がましくも)思ってたんだけど(もちろんそういう日もあるとは思うけど)、全然違った。患者さんたちが非常にクリエイティブで元気で、心を元気に保つように能動的に努力してて、普通に、めちゃ元気をもらった。

私が敬愛する女性が以前「笑顔になれない理由なんて探さなくてもある、だからニコニコしてなさい」と言ってきたことがあったんだけど、それを思い出した。

今日の患者会でも言ったんだけど、病気とか関係なく、私は気質的に、なんの理由もなくとも、抑うつ気分(なんか落ちてる)になりやすい。それには普段外に出てるときのエネルギー放出過多(出し過ぎ)とか、感覚過敏による易刺激性(特定の光とか音とか肌触りとかがめっちゃ不快で疲れる)とか、空気読めなくて会話が下手とか、意味不明のルールに従えないとか、理想主義的(理想を本気で求めて人にも押し付けたくなりがち)とか、白黒気質(グレーがない)とか、あげたらキリがないが、割と元来の性質そのものが、社会生活をする上で障害となる部分があって、うまくバランス取るのが難しいからなのかなと思う。

今日患者さんの話聞いてたら、みんな、心が落ち込まないように努力してたんだ。私は落ちない努力もしてなければ、落ちてもそのまま放置して、なんなら落ちてしまう自分を嫌悪して疎んだりしてた。

あ、私もどういう時に落ちてんのか自己分析して、そうならないように努力しようと思った。

 

まずは具体的に、どんな時に抑うつになりやすいのかを考えてみる。

・急に暇になった時

・介護の仕事にあんま行けてない時

・人と会ってうまく喋れなかった時

・とりあえず罵倒された時

・寒い時

・雨の時

・背中がこってる時

・自分の誕生日

・食べ過ぎた時

などなど。

 

私は、動けてない時や、予定が遂行できなかった時、抑うつになりやすいと思う。だからってめちゃくちゃ動きすぎても、後で反動が来るような気もする。だけど

・適度に外に出たり

・受け入れてくれる人と話したり

・運動したり

・美味しいものを適量食べたり

・暖まったり

・仕事したり

・まあいいかと思ったり

って書いてみると当たり前すぎるんだけど、こういうことは大事で、それがあまりに簡単にできなくなるからすぐ抑うつになるのかも、と思った。

 

なににせよ、笑顔になれない理由なんて探さなくてもこの世にいっぱいあるってのに、それを一個一個拾ってひとりで落ち込んでるのって、あんま、楽しくないし、意味もない気がした。そりゃ、それぞれが拾わなきゃならないしんどい出来事ももちろんあるんだけど、私は全然拾わなくていいものを拾って落ちてる気がするし、しかも誰のためにもなってなくて(むしろ人に迷惑かけがち)ひとりよがりだし、やめれるならやめたいなーと思ってたとこに、今日の会での気づきがあって、あ、多分やめれるな、やめよ。てゆうか少しくらい努力しよう。という気分になった。

 

私自身は、医学生でがんにもなって、来月形成で傷を治そうと思ってるという話とか、医療者としてホスピスケアに興味があるんだって話とか、少しした。

私が、家庭医療がやりたいと思ったきっかけになった医師が言ってた、「どこにも持っていけない想いを持ってきて話すことができるのが診察室だと思う」っていう言葉を思い出した。

ホスピスケアって、多分そんな感じだ。寄り添うって、多分そんな感じだ。外で、家で、言えないことも、ここに持ってきて、話していいんだよ、誰も拒絶しないよ、大丈夫、大丈夫、っていう、虹の会はそんな感じの印象だった。

 

学びの多い良き一日でした。

写真は帰路(行きは新幹線+名鉄、帰りはJR)

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